陶芸家加藤幸兵衛氏 テレビ東京で放映 26日16時から

川越丸広での個展も好評だった陶芸家加藤幸兵衛氏。弊社サイトでも9月8日に紹介した。

加藤氏はラスター彩発祥の地、イランで途絶えた技術を復活させるために心血を注いできた。その技術を日本で磨き、イランへ里帰りさせようという夢を実現へ、加藤氏のチャレンジが続いている。加藤氏は現地イランの陶芸家を日本に招聘。これらの道のりをテレビ東京が「虹を追う男たち」と題しドキュメンタリー番組として放映する。

11月26日 テレビ東京 16時からの放映だ。

 




ラスター彩 加藤幸兵衛氏 川越で展覧会

1800年代に江戸城本丸の御用窯となった初代加藤幸兵衛氏。 六代の加藤卓男氏は正倉院三彩の技法の復元、幻といわれたペルシア陶器ラスター彩をも復活。その功績から人間国宝となった。 当主七代目加藤幸兵衛氏がこのほど、川越丸広・広彩会会場で「甦るラスター彩・七代加藤幸兵衛展」を開催した。

七代目幸兵衛氏は世界でただ一人のラスター彩技法の継承者といわれる。また、「ラスター彩里帰りプロジェクト」を展開。イランで失われた技法を日本で復興、そしてそれをイランに持ち帰り現地で展覧会を開催というプロジェクトはテレビでもドキュメンタリーで放映された。 会場には鮮やかな幸兵衛ブルー。厳密にはペルシアンブルーといわれる水と生命を象徴する色は、西アジアで生まれ、イスラム黄金期に隆盛を極めた。平成の世に並ぶペルシアンブルー、エキゾチックなラスター彩は会場内でもひときわ、光彩を放った。(ラスターとは英語できらめき、光沢の意味。)

七代目幸兵衛氏は現在、ご子息亮太郎さんをはじめ、お弟子は20名以上。中には幸兵衛氏を慕い、先述の「ラスター彩里帰りプロジェクト」の縁から、遠くイランより技を磨くために来日している大学教授も。父卓男氏とともにペルシア陶技の深奥に迫るべく歩んで五十年の七代目幸兵衛氏。色彩、文様、独特の幸兵衛カラーで幅広い層にファンを持つ七代目幸兵衛氏。

弊社サイト7月14日記事の「ラスター彩に会いに」もぜひ、ご参照を。

写真は幸兵衛窯にひっそりと並んでいた幸兵衛ブルーキャット。




ラスター彩に会いに 幸兵衛窯(岐阜多治見)

縁あって、美濃焼幸兵衛窯のマグカップを長年愛用してきた。幸兵衛窯の七夕の宴があるというので岐阜多治見まで足を延ばした。

宴の前の鼎談では七代目幸兵衛さんがコーデイネーターを務め、イランからラスター彩を学びに来ている大学教授二名がフランクなお話を聞くことができた。二人はテヘラン美術大学教授 ベサッドアジュダリ氏、カシャーン大学教授 アッバスアクバリ氏。お二人とも敬虔なイスラム教徒で、食べ物に大変気をつかう話なども披露された。、幸兵衛さんの父、人間国宝加藤卓男さんが昭和50年代に復元されるまで技法が途絶えた幻の名陶「ラスター彩」。ラスターとは光沢やきらめきの意。気品あふれるその陶器は9世紀のメソポタミア発祥といわれ、王族が貴金属に代わるものとして美しい光沢を重んじた。西アジアからエジプトへ、そしてペルシアへ。制作の中心地は変遷しつつもラスター彩は色褪せることなく、絢爛たる貴族的な焼き物「ペルシアの華」と隆盛を極める。しかし、モンゴル侵攻の13世紀中ごろから衰微、18世紀にはその歴史の終焉となってしまう。鼎談の中でも、イランでの「ラスター彩復元の加藤卓男」の名声は高いとあった。

メソポタミア文明からの時代の流れ、また遠くペルシアからの距離を経て加藤卓男氏によって復元された「ラスター彩」。今は当主加藤幸兵衛さん、その子亮太郎さんによって受け継がれていくことは、アジアは一つ、世界は一つという感がある。

また、幸兵衛さんが生み出す深いブルー。「幸兵衛ブルー」と勝手に名付けてしまったが、なんとも味わい深い。その「ラスター彩」「幸兵衛ブルー」が川越にやってくる。9月2日から5日まで、川越丸広で展示、頒布会をされるという。残暑の残照の中の幸兵衛文化楽しみだ。