男気のある社長は粋だった。 松本醤油 松本社長トークショー

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川越ハウジングステージ(新宿町)で24日、松本醤油・松本公夫社長によるトークショーが開催された。先頃、NHKBSで「男気あふれる蔵の街」という番組でいの一番に紹介された松本社長。スーツで登場するも松本醤油の印半纏に袖を通して「これを着ないとおちつかない」と、冒頭より「粋」を醸し出した。松本社長は自らを醸造家と称し、まさに醸し出しすことはそのものズバリかとも思いながらトークショーに聞き入る。

長身で粋そのものの松本社長。江戸から小江戸に。その川越で粋に生きる姿勢は川越文化の一つだ。あきんどの町間川越。大店に御嬢さんが年頃になると、「いい婿さんを」と親は躍起となった。そういう意味で、川越には婿文化、養子文化も根付いている。テレビ以上に素敵な松本社長。意外だったのはお酒が下戸ということ。酒好きだったら、からだも壊し、松本家も安泰ではなかったとご本人笑っていたが・・・。

松本社長トークショー要旨

仲町にある松本醤油。旧市のどまんなかで800坪の土地を使っての商売。天保元年創業そのままだ。これは醸造界でも七不思議のひとつといわれている。昭和初期には全国で3000近くあった醤油製造会社はいまでは1000くらいに。都市化がすすむと、広い敷地はマンションや戸建てなどにかえて土地の有効活用をしたほうが良いと思う人がほとんど。なぜ、町の真ん中で場所をとって醤油醸造を続けるのか。それは「養子の意地」だ。

川越には横田五郎兵衛さんという豪商がいた。松本醤油も明治時代、横田家から醤油の営業権を含めて、譲ってもらった。(現りそな銀行川越支店、現山屋・ここは横田家迎賓館。みんな横田五郎兵衛さんが息づいている)。松本醤油は私、公夫で四代目。私、先代、先先代、と三代養子が続いている。養子だからこそ、「男気」がやしなわれた気もする。私には長男がおり、「これで松本も・・・」と言われてもいるが(笑)

松本醤油の製法は昔ながらのもので、最低一年かかる。1年仕上げが2割(濃い口しょうゆとして出荷)、再仕込みといわれる二年物が8割。「おいしいものを作る」が信条。天保時代の「仕込み蔵」。「この蔵を守る」という気持ちが一番強い。この中には酵母菌、乳酸菌がすみついている。その蔵には直径2.7メートル、高さ2メートルの大きさの桶が。桶一つから6000リットル、その桶が39本ある。機械化へと言われたときもあったが、あくまでも手作り、限定醸造にこだわっている。(蔵見学は平日は13時から。土日は13時14時15時。団体様も対応している)原料にもこだわる。埼玉県産、川越産でまかなっている。輸入ものは一切使わない。顔の見える方に依頼している。そのために農家を口説いているが農業後継者不足が頭の痛いところ。農家支援で毎月第1.第3の日曜日朝六時半から朝市を会社敷地内で開いてもいる。作ってもらえなくなったら、農業法人を立ち上げ、原料からつくる方法もありか・・とも思う。日本の農業を考えるとき、「自給率をあげる」ということが急務。それには土地の集積化が必要か。(松本社長は東京農業大学出身で観点が農業に対して優しい。奥様とも大学で知り合った)。

埼玉県は酒の出荷量が堂々の全国第4位。「川越に酒蔵がないのは・・・」「川越に地酒がないのは・・・」醸造家としてもいかんともしがたい。15年前に「地酒・鏡山」の復活に奔走した。酒造りは「水」。敷地内には井戸があり、これを使おうと考え、ローンの残っている自宅住居を壊して酒蔵をつくった。飯能の五十嵐酒造との連携で量を多くすると味が落ちるということにもこだわって「鏡山」を生産している。30代の杜氏ががんばっていることも今後楽しみだ。

川越というまちは旧いものを大事にしてしてきた。守ることが大切だし、この旧いものは簡単には、すぐには作れない。これこそが川越のよさであるとも思う。観光客も国際的になったとも思う。残念なのは1時間から2時間くらいしか観光客が川越に滞在しないこと。長時間観光客が滞在できる工夫が必要。一番街にもお店は増えているが、軽井沢で、鎌倉でみかけるお店もある。川越らしいオリジナリテイが感じられるお店が増えてほしい。川越らしい特長を生かして、川越は生き残るべき。川越でしかできないもの・・このことにもこだわっていきたい。

004          伊勢谷 珠子