弊社取締役 講演 刑事の人生 岡部逸雄 名細公民館で ①

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地域で、新しい絆をつくるべく熱心な公民館活動をされている「男のゆうゆう塾」(斉藤誠代表)。この塾の12月19日講座の講師を弊社取締役 岡部逸雄が依頼され、約90分にわたる講演とその後の質疑応答で、自分の警察人生を語りつつ防犯や地域への思いが語られた。2015年をしめくくる記事として3回にわたってアップする。

1 警察官になるまで

本日、男のゆうゆう塾で講演できるご縁は、この代表斉藤誠さんが、妻が出版サポートした「川越100の顔」の取材で斉藤誠さんと出会ったことがきっかけ。「川越100の顔」は現在でも蔵造りのまちなみの中の太陽堂さんの店頭に並んでいますので、ぜひ、よろしくお願いします。(笑)

刑事を長くやっていきて、大勢の人の前で話すことはあまりなかった。取調室で「被疑者(犯人)を落とす!」ということを使命に生きてきたのでどれだけ今日うまくいくかわからない。(西入間署勤務のとき地域の中学校で「警察の仕事と使命感」と講演した、それ以来の出来事でちょっと緊張(汗))。

私の故郷は秋田県男鹿半島の先、バスケットと秋田杉で有名な能代市。農家の長男に生まれ、農業を継ぐつもりで地元の農業高校に進んだ。しかし、父から「将来農業で食べていくことは難しい。兼業農家であっても手に職を」と進言され、親戚の大工のもとで、修行。埼玉県飯能市で新設の幼稚園の建築で初仕事。しかし、自分に合っているかどうか逡巡。秋田に戻った時、自衛官や警察官として働いたらという母の知り合いからの勧めもあり、大工を断念。好きなバイクに乗れる「白バイ」いいな!という気持ちで警察官採用試験に挑戦。警視庁、神奈川県警、千葉県警、埼玉県警、という選択肢の中、飯能の緑や風景を思い出し埼玉県警の試験をうけた。秋田県立能代農業高校卒業、半年後のことだった。

採用試験にパス、警察学校で学んだあと初任地は川越署本川越交番だった。昭和50年10月、制服に身を包んだ地域警察官としてのスタート。当時の本川越の駅舎は木造。駅の周りにはケーキ屋さん、お茶屋さんなど。先輩と一緒に自転車に乗って、警らをして管内をぐるぐる巡回。静かな時代でもあった。

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