如月の月 金子兜太先生を偲ぶ

日本を代表する俳人金子兜太先生がなくなって2年。2018年2月20日に先生は旅立たれた。先生とは直接お会いしたことはないが、弟様の金子千侍先生には「秩父音頭」を道場で教えてもらい、「免許皆伝書」をいただいた。(金子先生の父上は金子伊昔紅氏。秩父音頭まつりの家元)

金子千侍先生からは俳句の手ほどきを外国人学生とともに受けた。(国際ロータリー第2570地区米山記念奨学生たちと)。千侍先生は「兄ならばこう表現したでしょう」とおっしゃっていたので、兜太先生と面識のあるような身近さを感じる。

「まんじゅしゃげ どれもへそ出し秩父の子」兜太先生の句だ。夏から秋にかけて秩父路をゆくとこの句が頭をよぎる。しかし、兜太先生の生まれ年は1919年。一句一句ではないか。生まれ持っての俳人だ。

兜太先生、帝大卒業後、海軍主計中尉。戦後は日銀へ。弟様は家業の医者を継ぐ。生まれ持っての俳人と一言では語れない人生でもあっただろう。合掌。

 




留学生秩父音頭で日本文化を体感

国際ロータリー第2570地区(前嶋修身ガバナー)米山記念奨学生が恒例の秩父音頭まつりに参加した。

米山記念奨学会は、三井信託銀行創設者米山梅吉氏(東京ロータリークラブのチャーターメンバー)の功績をたたえ、東京ロータリークラブが創設した基金。開設当初は月にたばこ一箱減らして留学生支援を合言葉にロータリアンが寄付金を募った。その歴史は62年になり、一年間返還不要の奨学金を留学生に贈与するもの。

今年の一月に亡くなった金子千侍氏(医師・国際ロータリー第2570地区パストガバナー)の父金子伊昔紅氏が代々伝わる秩父音頭に公募の歌詞をあわせ、復活させた。金子家は秩父音頭まつりの家元。金子千侍氏は米山記念奨学部門には大変力を注いで、埼玉の米山の父として多くの奨学生から慕われた。毎年、秩父音頭まつりには自宅の道場を開放し、弟子に声をかけ、異国からきた奨学生を特訓。奨学生も汗を流し、揃いに浴衣を着てコンテストに出場する。

秩父音頭の踊りは秩父の生活に密着している。両手を延ばす様は鳥になって秩父地方を見渡すもの、手鏡に顔を映し、朝露を袂でうける女性らしい仕草、養蚕の糸巻きの様子などが織り込まれており、その説明を受けながら、海外留学生たちは踊りを習得していった。

「いい汗をかいた」「日本での想い出ができた」「来年も参加したい」など留学生口々に感想を述べ、合歓の郷「秩父音頭まつり」を満喫した。