秩父 井上豊さん(井上成美堂)テレビ東京 なんでも鑑定団に出演!

「開運なんでも鑑定団」は自宅に眠っているお宝を鑑定する人気長寿番組。

6月11日(火)か、18日(火)テレビ東京(チャンネルは7)午後8時54分放映分に秩父の井上豊さんが出演する。

井上さんは秩父で印刷会社を経営。まちおこしや地域社会奉仕にも取り組むパワフル人間。

特に井上豊さんは国際ロータリーのプログラム米山記念奨学生(返済不能の奨学金をアジアなど外国から訪日する優秀な学生に与え、将来日本との懸け橋になってほしいという願いと三井信託銀行創設者米山梅吉翁の遺徳を偲んで創設された基金 歴史は60年以上)を秩父皆野・故医師の金子千侍先生(秩父音頭の家元)の道場に招き秩父音頭を特訓し、秩父音頭まつりコンテストに出場させる行事を長きにわたってサポートしているまさに草の根国際外交を体現実行している。

井上さんが「なんでも鑑定団」出品されたものは「シリンダーオルゴール」。さて結果はいかに・・




留学生も歓声 今年も秩父ロータリーの森清掃

秩父を原点に西武線では三峰口から所沢まで。秩父鉄道では三峰口から羽生まで。高崎線は神保原から吹上まで。東武東上線では小川町から和光まで。このエリアで51のクラブが奉仕活動しているのが国際ロータリー第2570地区。

緑濃くなるこの時期は芝桜で知られる秩父羊山公園入口の「ロータリーの森」で各クラブ代表が集い清掃の一日を送る。

この日は4月から受け入れられた米山記念奨学生も参加。米山記念奨学会は日本ではじめてつくられた東京ロータリーのチャーターメンバーである「米山梅吉翁」を顕彰して作られた奨学生制度。海外からの留学生を援助する財団米山記念奨学会は多くの善意から成り立っている。静岡にある米山梅吉翁の墓所、住まいであった場所にある米山梅吉記念館には「いさかいもなき漫々の青田かな」という句碑がある。かつて「水利」をめぐっていさかいのあったことを憂いた梅吉翁の作品。

埼玉の米山の父として活躍されたのが秩父ロータリークラブ所属の故金子千侍氏。金子氏は1994年から1995年、地区の代表であるガバナーを務められ、当時金子氏の発案でこの「ロータリーの森」が生まれた。「この場所は秩父と横瀬の間で所有権をめぐっていさかいがあったところ。ロータリーアンが集い、憩いの森として水や酸素を生み出している。また米山奨学生が初の奉仕の場として秩父の空、空気、緑を感じてもらえるのもうれしい」と穏やかに語っていた金子氏は黄泉に旅立った。秩父音頭の家元であり、奨学生たちに自分の道場を無償で開放し、秩父音頭の特訓をする機会も与えてくれた。もちろん、その絆はお弟子さんたちによって金子氏の亡きあとも続いている。ちなみに金子千侍氏の実兄は俳人の金子兜太氏。奨学生たちに金子千侍氏が日本文化の最小の文字での表現、17字の俳句を指導されていた姿も懐かしい。

この森に植樹されている木々はクラブ所在地自治体にゆかりあるもので、初めて訪れたロータリーアンは「木々の成長は年月がかかっている。20年以上にわたる歴史と手入れするみなさんの気持ちを思うと感慨もひとしお」と語った。留学生たちも難関突破し晴れて奨学生になっての秩父入り。協働で奉仕しながらもここちよい汗や秩父連山、飯能から秩父への車窓のすばらしさに歓声をあげた。

故金子千侍氏も遠い空から優しいまなざしでこの風景を眺めているに違いない。

 

 

機会秩父返済不能の奨学金を渡している




留学生秩父音頭で日本文化を体感

国際ロータリー第2570地区(前嶋修身ガバナー)米山記念奨学生が恒例の秩父音頭まつりに参加した。

米山記念奨学会は、三井信託銀行創設者米山梅吉氏(東京ロータリークラブのチャーターメンバー)の功績をたたえ、東京ロータリークラブが創設した基金。開設当初は月にたばこ一箱減らして留学生支援を合言葉にロータリアンが寄付金を募った。その歴史は62年になり、一年間返還不要の奨学金を留学生に贈与するもの。

今年の一月に亡くなった金子千侍氏(医師・国際ロータリー第2570地区パストガバナー)の父金子伊昔紅氏が代々伝わる秩父音頭に公募の歌詞をあわせ、復活させた。金子家は秩父音頭まつりの家元。金子千侍氏は米山記念奨学部門には大変力を注いで、埼玉の米山の父として多くの奨学生から慕われた。毎年、秩父音頭まつりには自宅の道場を開放し、弟子に声をかけ、異国からきた奨学生を特訓。奨学生も汗を流し、揃いに浴衣を着てコンテストに出場する。

秩父音頭の踊りは秩父の生活に密着している。両手を延ばす様は鳥になって秩父地方を見渡すもの、手鏡に顔を映し、朝露を袂でうける女性らしい仕草、養蚕の糸巻きの様子などが織り込まれており、その説明を受けながら、海外留学生たちは踊りを習得していった。

「いい汗をかいた」「日本での想い出ができた」「来年も参加したい」など留学生口々に感想を述べ、合歓の郷「秩父音頭まつり」を満喫した。




埼玉の米山の父 逝く 元国際ロータリー第2570地区ガバナー金子千侍先生

「秩父音頭」を踊れないと「旦那」とは言われない。戦前戦後から言い伝えられてきた盆踊り。

「秩父音頭」は秩父市で生まれたものではなく発祥の地は皆野町だ。 口伝されてきた唄を「秩父豊年踊り」として昭和初期復興させたのが医師でもある皆野の俳人・金子伊昔紅(かねこいせきこう)。毎年14日皆野町で「秩父音頭まつりコンテスト」が開催され、秩父谷の皆野町のメインストリートには何か所かの練習スポットが設けられそこにはのど自慢の歌い手が「花の長瀞あの岩畳誰を待つやらおぼろ月」など秩父の風景が盛り込まれた秩父音頭を披露。合いの手の「そうともそうともそうだんべ」が哀愁を漂わせる。

さて金子伊昔紅氏のご子息が今でも意気軒昂に活躍する熊谷在住の俳人「金子兜太」先生。その弟が「金子千侍」先生。

金子千侍先生は家を継ぎ、皆野町で医師として活躍。先月闘病の末ご逝去されたが、聴診器を持たなかったのはご自身が入院された時だけ。88歳。俳句の会を主宰したり、国際ロータリーでは埼玉西北地区の顔・ガバナーにも就任。以来アジアを中心とした海外からの留学生支援プログラム・米山記念奨学会の副理事長として多くの学生から「埼玉の米山の父」と慕われた。特に「俳句に親しむ」「秩父音頭を踊る」といった日本文化を留学生に指導。将来日本と自国のかけはしになるであろう留学生により日本に親しみをもってもらえるかを発信しつづけた。

「秩父音頭」は秩父のシンボル武甲山、大きな鳥が秩父連峰を舞うシーン、秩父産業の一つ「蚕」、女性が手鏡を使う仕草などがとりいれられている。金子千侍先生は秩父音頭の家元として、80歳を超えても背筋をすっと伸ばし、指先、目元まで神経のゆきとどいた「踊り」の手本をしめしてくれた。

金子先生がそちら側に逝ってしまったという実感がまだない。今年の盆の「秩父音頭まつり」。先生のいない審査員席が想像できない。

伊勢谷珠子