ポケモンGO 川越でも熱中

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ポケモンGOの社会現象はまさに狂騒曲となった。

川越駅西口デッキでも大勢の人が背中丸めてスマホ画面に熱中。22日に配信以来三日間、すでに警察に検挙された人70名以上、交通事故は30件以上と報道されている。

昨日川越駅西口でであった知人は「一億総活躍ならぬ一億総白痴化だよ」と。その風景を見てつぶやいた。

ゲームとしては大変興味深いものだし、はまる気持ちも理解できる。が、しかし、深夜から明け方までポケモンを探す公園の人々。この人たちはいったいお仕事は?とか考えてしまう。

日が昇ってから日没まで、一分一分を大切に仕事に精を出すことは素晴らしいことだと思う。また余暇を利用して自分の好きなことに没頭することも生きがいにつながる。それが例えば国内外の旅であったり、釣りであったり、ピアノを弾くことであったり、麻雀、ゴルフ、競馬に読書、カラオケ、ウオーキングなどなど。

その余暇の楽しみの一つにポケモンGOをすることは自由だ。しかし、夜も日も明けないというのはいかがなものか。

私事となるが、思い出すとわが家の親は小さいころから本当に「読書」を推奨していた。幼稚園のころはアンデルセン童話、イソップ物語、小学校にはいると「偉人伝」「シートン動物記」「江戸川乱歩」など。中学にはいると夏目漱石「吾輩は猫である」と「車輪の下」をすすめられた。当時百恵友和コンビが一世を風靡し、映画化された作品を読むというくせもついて、川端康成、三島由紀夫に傾倒していった。それから受験生の時は読書を封印をもしたが、今でもなお、活字はいつもそばにある。

ふりかえってみて、読書の歴史は自分の血や肉となって、これは付け焼刃的な人にくらべると絶対の自信にもつながり、読書で得た知識のほか、「集中力」「洞察力」「想像力でも創造力でも」いろんな力を与えてくれた。また「情操教育」のありがたさを今さらながら親に感謝だ。

さてポケモンGO。いろんな力を湧き出させるツールの一つであることは確か。しかし、必要なことは「バランス」ということか。

伊勢谷 珠子