今月11月にはいって高齢者の事故は15件。予測不能、防御不能で亡くなられた方も。本当に痛ましい。
認知症でハンドルを握るとは恐ろしい話だ。「車がないと生活できないから」というへんな正論がまかり通るのもおかしい。判断能力が衰えた人については家族も目を光らせなければならない。被害者のこどもたち、働きざかりの人たちの無念を考えたら甘いことは言えない。
母は車大好き人間だった。首都高も高速もスイスイ。最後の愛車はフォルクスワーゲンゴルフ。しかし、75歳で免許を返納した。「自分が事故で亡くなるのはかまわない。しかし、もしもどなたかを傷つけてしまったらそれは大変。」損害保険のトップセールスレデイというキャリアならではの発想に、天晴と思った。その後80歳になると通帳を私に預け、「みんなお願いするわね。」と。お金にも執着しない姿勢も潔いと思った。最近の高齢者が引き起こす悪夢としかいえない交通事故の報道に亡くなった母を想った。
数年前に交差点で信号待ちをしていると全身に衝撃が走った。駐車場からバックの車がこちらの車のボデイに衝突した。確か80過ぎのおじいちゃんの運転。運転席からでてこないおじいちゃん。杖につかまりやっと顔をみせ「足が不自由なんだ。車はとりあげないで」と開口一番。首と背中に痛みが走る私、返す言葉がないほど腹がたった。車を杖がわりにするなんて。私のケガは首頸椎捻挫、背中の捻挫で全治半年はかかった。
義母は昨年スーパーから国道に出たところダンプに衝突した。ダンプがスピードをゆるめてくれたため車両事故だけですんだが、運送会社に、こちらが平身低頭謝った。義母には同日免許を返納させ、車は直して、売却した。オオゴトにならずにすんで本当に良かった。
自分の身の回りにもこんなに高齢者ドライバーにまつわる話があるとは。自分自身もゴルフジェッタ、オペルにカマロにメルセデスと車好き。一日で最長700キロ走ったこともある。車は最低10万キロから15万キロ走破して乗り換えてきた。しかし、母と同じように75歳になったら免許は返納すると決めている。乗れる車の台数も限られてきたのも寂しいが、「75歳免許返納」法制化もあるかもしれない。
伊勢谷 珠子