くらづくり本舗・中野家のゴッドマザー、中野くに子氏(元厚生労働副大臣 中野清氏ご母堂様)が旅立った。102歳だった。亡くなった日は7月11日未明、参議院選挙開票確定から数時間だった。川越政界の父子鷹、中野清氏、中野英幸氏(現埼玉県議会議員)の身を案じた旅立ちの時間にも胸がつまる。
中野くに子氏は川島町から中野家に嫁ぎ、夫を太平洋戦争で亡くした。清氏をはじめ、四人のこどもを懸命に育てながら、家業の菓子屋を盛り立てた。一方看護師、助産婦の経験もあり、「くに子先生に取り上げられた」という人は今でも多く川越市に。また太平洋戦争は多くの英霊を作り、まちの中には戦争未亡人が途方にくれる姿があったが、その先頭にくに子氏は立った。どれだけの多くの人が、くに子氏の優しさ、芯の強さに励まされたことか。と、当時を振り返る。
長男清氏は家業を着実に広げつつ、大好きな川越のためにまちをよくしたい一心で市議会議員の道へ。天性の「機を見るに敏な行動力」から市議から県議そして国政へ。さらには厚生労働副大臣に。今はくに子氏の孫、清氏の長男英幸氏は県議会議員だ。英幸氏はよく会合で「父を超えているのは体重だけ」とユーモアを交えてスピーチするが、県議会の若手県議からは「兄貴的存在」として慕われている。53名の県議会議員の中で強いリーダーシップを発揮するその裏打ちは父の背中と日本青年会議所埼玉ブロック協議会のトップを務めたことがあるからこそかもしれない。
英幸氏現在埼玉県議会二期目。くに子氏、孫の活躍を心を躍らせて見守っていたことだろう。
斎場にはくに子氏の創作した川柳がちりばめられた本「花筏」が飾られた。その本は自由に手に取ることができた。「花筏」。赤間川を、新河岸川を「花筏」がうめつくす春、川越を愛した川越市民を愛した、くに子氏を多くの人が思い出すこと確信する。