日本・資本主義の父・渋沢栄一翁。
その渋沢氏と川越の関係を探る講演がこのほど川越クラッセで行われた。
「明治を耕した男」というテーマで杉田修一氏によるもの。杉田氏は川越市立山田中元校長。
主催したのは小江戸川越大地の園の会。会長は発智金一郎氏。あの霞ヶ関カンツリー俱楽部に土地を提供した発智庄平氏の孫にあたる、発智家当主。発智家は700年も続く名家。渋沢栄一翁は、発智庄平氏を教育者としてすぐれた埼玉屈指の素養の人と称し、入間の道徳銀行とよばれた黒須銀行や埼玉育児院設立にともに携わった。
日本を代表する企業を次々と興した渋沢栄一翁。東京ガス、サッポロビール、東宝、帝国ホテルなどがそれだ。一方農業を尊び、農業は国の基と説いた。富、権力、権威のバランスを保ちながら渋沢栄一翁は社会福祉にも目を向けていく。
NHK大河ドラマでも深谷の地から、豪農でありながら、徳川慶喜の元で重用されていくプロセスが描かれていた。渋沢栄一翁は商才に長けていた。それは商略であり、ものをブランド化(差別化)すること。これらも今求められているものだ。まさに渋沢栄一翁の思いは時空を超えてイキイキとしている。
第15代将軍徳川慶喜と渋沢栄一翁の墓地はむきあって東京谷中の墓地にある。死してなお義を尽くすということだ。
渋沢栄一翁の二番目の夫人が伊藤兼子さんといい、川越出身だったことも語られた。