日本経済の礎を築いた渋沢栄一翁の大河ドラマ「青天を衝け」、埼玉県民にとって
はたまらない番組となった。
藍、お蚕様、広々とした大地と県北弁。
週末を楽しみにしている人々も多いはず。
この渋沢栄一翁、川越との縁も深い。
明治の川越の大火の時、義捐金を寄贈、時の鐘の銘文には渋沢栄一翁の名前が刻まれた。
また県立川越高校には、旧制川越中学創立25周年に配られた扇子に揮毫。
その現版が残る。雅号の青淵を用いて当時80代であった渋沢は青淵老人書と書いた。
王子に住んでいた渋沢翁は大宮から汽車に乗って、大宮から川越電気鉄道の特別列車で川に訪れたことも記録に残っている。
銀行、企業、商工会議所の創設に尽力した渋沢が商都川越を愛したことは明白である。
新1万円札の顔になる渋沢栄一翁。
今から7年前に地方自治法施行60周年を記念して発行された
千円硬貨の埼玉版は「時の鐘と渋沢翁」。さぞかし、今や価値があがってるのでは
ないだろうか。
2番目の奥さん、兼子さんの父親が川越出身だそうですね。大層な豪商だったとか。
それは知りませんでした。情報ありがとうございます。来年川越は市制施行100周年です。出版準備を始めていますので、なんとかそのことも絡めていきたいです!!
渋沢栄一の別宅が川越市の幸町にあったことを知っている人はあまりいないようです。鐘撞堂の側に今はスターバックスがありますがそこの土地300坪に以前は加島獣医があり奥には加島眼科がありました。母の父で剣道の師範であた秩父の高野佐三郎とは剣道繋がりがあったようで祖父は赤坂の家を処分して川越の渋沢栄一の家を購入し加島眼科を開き住んだと聞いています。
加島様 貴重なお話ありがとうございます。歴史はいろいろなドラマを生みますね。。今後ともよろしくお願いいたします。
加島様 貴重な情報をありがとうございます。
今、渋沢栄一と川越の関わりについてあれこれと調べています。もう少しお話しをうかがえますか?