史上初、貴乃花親方理事解任

日馬富士暴行問題というよりもいまや貴乃花親方問題となってしまった一連の日本相撲協会の件。

ここで理事会からテーブルは評議員会に移り、貴乃花親方は理事解任となった。

被害者、加害者という枠を超えて、国技である相撲道、角界であの貴乃花親方の行動では然るべき判断といえる。

テレビではさまざまな意見が飛び交っているが、どう考えてもあの憮然とした、目つきもあやしくすがすがしさのかけらもない貴乃花親方を「組織」が処分するのはきわめて自然体である。相撲は「礼にはじまり礼に終わるのだ」。理事長からの電話にでない。役員が赴いても対応しない。これは社会通念上ありえないのだ。

自分の考えを通したいあまりに常軌を逸してしまうものにリーダーの資格はないのだ。おそらく世論の大方の見方と今回の処分は一致しているに違いない。




今年のいい話・松山千春「大空と大地の中で」

いろんなニュースが、情報として目に、耳にはいってきた2017年。

新千歳空港から大阪に向かう飛行機が飛び立つことができなかったとき、乗り合わせていた松山千春がキャビンアテンダントが使用するあの受話器のようなマイクで「大空と大地の中で」を唄い、場を和ませたという話があった。千春世代にとっては、「千春らしい」と思ったに違いない。松山千春の郷土愛と、お客様を楽しませるエンターテナーの深さがその行動を産んだのだ。

何か事件が起こった時居合わせた警察官が協力したという話もでる。体調不良の人を医師や看護師が救ったという話もでる。

新千歳空港に降り立つ人も飛び立つ人も誰しも松山千春の「果てしない大空と広い大地のその中で」という歌詞が頭によぎる経験があるはず。そして「いつの日か幸せを自分の腕でつかむよう」といった歌詞を成し遂げた松山千春氏に畏敬の念を持つ。

その千春さんが飛行機の中で「松山千春です」と登場すれば、最高の旅の想い出になる。

「場を読む」。千春の姿勢を「貴乃花親方」が見習えば角界もこんなことにならなかったのでは!と思う年の瀬である。

 




貴乃花イズムは浸透せず

日馬富士の暴行事件から相撲界が騒がしい。

日馬富士というよりも今や主役は貴乃花親方。

この貴乃花親方の態度、ファッション、そして行動が世間からは認められていない。

先日も普段おっとりとした奥様が柳眉をあげて怒っていた。「あの椅子にふんぞり返る姿勢。カメラへのわざとらしい鋭い目線。イタリアマフィアのような装い。あれでおかみさんはいいと思ってるのかしら?うちの孫が相撲の道を進み、部屋を選ぶとしたら家族で貴乃花部屋には行かせない。なにが相撲道よ。礼節を知らなすぎる。」と。

八角理事長、鏡山親方、春日野親方の真摯な態度とは対極である、貴乃花親方の態度。あれを演出というのなら、それは大きな間違い。日本人はこういうとき記憶の糸をたどり、若貴兄弟の骨肉の争いまで思い出してしまう。あの時も若乃花お兄ちゃんにくらべて貴乃花の態度はよろしくなかった。

今回も正しいか正しくないかという問題以前に日本の国技の組織の役職についた以上、その責任を全うすべき。日本の礼節とは何か?貴乃花親方には考えてほしいものだ。




相撲問題 「信念」とは?

日馬富士の暴行問題が、解決をしない。

すべては「藪の中」の感もする。

貴乃花親方が場所中ということもあって沈黙だ。まして相撲協会の聴取には「応じない」と答えたという。

そこで、貴乃花擁護と思われる関係者が「親方は自分の考えを曲げない信念の人」コメントしたのだ。

「信念の人」というのはここでは「言い間違い」だろう。

それでは、犯罪に絡む問題で警察からの事情聴取に「応じない」という人はみんな「信念の人」となってしまわないか?

本当に日本語の乱れがあとをたたない。

活字を追わず、スマートフォンでゲームに興じる人が多いからか?

やはり活字は大切だ。