ライトアップの石川洋館(入間市西洋館) 多くの市民でにぎわう

国道16号沿い 入間市河原町交差点手前に、大正ロマンを彷彿させる建物がある。

旧石川組製糸西洋館。当主石川嘉彦氏によって入間市に寄贈された。

西洋館の設計は東京帝大(東京大学)卒の室岡惣七、建築は川越まつりを彩る山車の製作で知られる宮大工関根平蔵。関根氏の和風工法が見事であるが玄関の大理石、外観の化粧煉瓦貼り、屋内のゆったりした天井と調度品、こだわった照明、見飽きることのないものばかり。この西洋館は年に数回公開されるが、このほどその西洋館がライトアップによって、夕闇に浮かび上がった。

以前、石川嘉彦氏に話を聞いた。「幾太郎には弟がおり、和助といった。和助は英語学校に学びキリスト教を信仰するようになる。真言宗の檀家であった石川家では当時大反対もあったなか、幾太郎は用地や資金を調達し、できあがったのが現存する武蔵豊岡教会。入間市西洋館から左手に見えるトンガリ屋根の教会だ。和助は幾太郎に「慈愛」を説き、幾太郎の経営方針に「慈愛」が盛り込まれていく。当時は「女工哀史」という言葉が存在するほど製糸工場で働く過酷な労働は映画化までされたほどだ。しかし、幾太郎は「慈愛」の心を忘れず、経営をすすめ、現在の黒須団地までの広大な敷地、そして、川越工場、福島、愛知、三重まで進出を果たす。農家にもいい蚕の種の提供をお願いし、いい蚕から良質な生糸を、そして極上の織物を織り上げる、その好循環を幾太郎は追求していく。幾太郎の努力は一言では片付けられないもの。その延長線上にこの西洋館がある。輸出企業として、外国から来るお取引様をおもてなしする場、迎賓館は必要不可欠であった。戦後、進駐軍に接収されたものの、私(石川嘉彦さん)も家族もみんなここで暮らした。テレビや映画の撮影場所になったことも。若いころはブラックタイパーテイをした、これもいい思い出。これだけのいい建物、市としてもいい管理、いい手入れ、維持管理をしてほしいし、幾太郎の遺した西洋館を多くの人に知ってもらい、愛してほしい」(2011年秋)

関東大震災、昭和大恐慌、時代の波をうけ、石川組製糸は解散してしまう。しかし、当時の面影が残る「西洋館」このたび4基のLED投光機が、大正昭和ロマンを懐古的に照らす「ライトアップ」。特別公開やイベントで「ライトアップ」は活用されていく。2001年国の登録文化財もうけた「西洋館」。ライトアップ記念イベントの5月8日は多くの市民でにぎわった。

国際ロータリー第2570地区(埼玉西北地区)ガバナーをつとめられた石川嘉彦氏。幾太郎・和助兄弟から脈々と続く「慈愛」「奉仕」の心。「入間市西洋館」、石川氏の想いとともに、入間市のシンボルから首都圏を走る国道16号を通過するすべての人々に「よき時代」「辣腕を発揮した事業家の偉業」として、煌々とかがやいていく。