川越氷川神社 「氷川の杜」着々

川越氷川神社(山田禎久宮司)では百年先、二百年先を見据えた「氷川の杜」植樹事業をすすめている。

武蔵野台地の東北端に位置する土地の特長をいかし、春夏秋冬、それぞれの季節の表情をみせる「川越氷川の杜」。事業への奉賛もあわせて募っている。川越総鎮守 氷川神社

 




山田宮司 講話 小江戸飛雁会で 

小江戸飛雁会は川越に支店をもつ企業、支店長、支社長に川越の文化、歴史、を学んでもらい、また川越グルメを紹介するという会合。年4回くらいのペースで開催されている。次なる転任地で「川越をよくPRしてもらおう」。川越の鳥「雁」が飛び立つから「飛雁会」とネーミングされた。監修は共和木材(株)の馬場弘会長。

先般行われた川越まつり直前の山田禎久宮司の講話を紹介する

山田宮司講話

春の祭りは「五穀豊穣を願って」秋の祭りは「農作物の実りを感謝」それがはじまり。

十月の異名は神無月、六月は水無月。神様がいらっしゃらないのではなく、「神乃月」。もちろん六月も「水乃月」、あれだけ雨のシーズンなのだから。明治時代までは「神仏習合」であり、お寺社は一体であった。僧侶はみなさんと先祖をつなぐ縦の糸。神主は活きているみなさんのむすびつきをするいわば横の糸。神道は教祖、教義、経典もない。神社は地域に根差した暮らし向きと精神をささえるもの。伊勢でサミットが行われたときに故安倍首相が伊勢神宮を参拝した各国首脳に「ここは日本で一番旧く、一番新しい神社」と説明した。伊勢神宮は20年に一度、式年遷宮を行うから。日本が誇る木の文化。20年に一度造りかえることで、技術の伝承もかなう。定期的なあらたまりは、再現、そして永遠につながる。まさに長くて新しい。トコワカでもある(常に若い)。組織のトップに「長」を使う。「長い」を重んじ、組織を強くする、大きくするの意味ではないか?「まつり」の語源は「神様をたてまつる、神様をおまちする」から。神輿も山車も地域全体の繁栄と地域住民を元気づけるもの。おめでたい言葉に「松竹梅」とある。中でも「竹」.成長のシンボル。節を刻んで伸びていく。人生の節目、企業団体の創立などに神社はかかわっていく。日本人は自然の恵みを享受している。森からは実を、川からは魚を。四季もある。しかし、水は洪水、海は津波、など時々人間に試練を与える。だからこそ、自然に感謝をし、畏れていかなければならない。かみさまの「かみ」とはくまなくの意味。目にみえないが確実に力を発揮するもの。氷川神社も日中のにぎわいとはうってかわった、朝夕の静けさに、神社の魅力がある。今日の話から神社とまつりを考察していただけるとありがたい。




川越まつりのない秋だから 「うつくしの街 川越」をよみたい

2019年6月に発行された「うつくしの街・川越 小江戸成長物語」(寺島悦恩・小林範子編集企画)。川越がたどってきた歴史や美術、観光が横断的につづられている。

松尾鉄城氏、谷澤勇氏、井上浩氏、梶川牧子氏、故可児一男氏、溝尾義隆氏、粂原恒久氏、山野清二郎氏、山田禎久氏、金剛清輝氏、原知之氏など錚々たるメンバーがデイープな川越を熱く執筆しているのだ。

小江戸川越は10月の川越まつりを境に冬支度がすすむ。今年は新型コロナ対策で川越まつりは中止。ひんやりした朝夕を迎えても、おまつり準備がないせいか、季節を感じることが難しい。

こんな時だからこそ、「うつくしの街川越」は価値ある一冊かもしれない。

「うつくしの街 川越」はまだ購入可能だ。

 




川越氷川祭の山車行事・今年は我慢 開催は神事のみ 令和2年コロナ対策で。

コロナ感染拡大防止で、川越まつりも中止となった。

本当に残念だが、まつりといえば 密集密接なのでいたしかたない。

昨年、川越まつりの直前に川越氷川神社の山田宮司の講話を聞く機会があった。(写真)

山田宮司 講話要旨

「まつりはそもそも、恵をいただき神様に感謝する、一方、洪水・大雨・災害などから地域を守るために 祈ることからはじまっている。個人の幸せを祈り 地域の安寧を祈る、めぐみに感謝する、それが まつりの中心だ。農業の中心は稲作。豊穣な土地から作物をいただくということも神様あってだ。稲作はおひさまがふりそそぎ、水がうるおい、風が吹き、稲が実る。これらは人間の力を超えたところにある。自分の力だけではなく、自然からもたらされたもの、ということを昔の人は知っていた。氷川祭の山車行事 氷川神社創建された日を再現するおまつりで、9月15日から10月15日がその神事の期間であり、9月15日というのは、関ヶ原で徳川方が勝った日でもある。神幸祭は 川越まつりの起源で、山車が神様のうしろをしずしずと練りあるく。氷川の神様が馬に乗り、神様がお力をふりまく、ということだ。新たな技術、科学の発達、携帯電話もガラケーからスマホへ。その時代においつくことで安心を果たして得られるのだろうか。実は何年たっても変わらないものを持つことも大切なのだ。縦の糸は歴史、横の糸は生きている今のまち、その交差するものがまつりであり、この縦の糸と横の糸が布となって川越を守っている。個を超えた、公の祈りに川越まつりの真髄もある」

山田宮司のはなしは、農耕民族である日本人のよきDNAや、忘れがちになる日本人の精神を語っていた。

コロナ、コロナで日々、鬱うつとしてしまいがちだが、忘れていたモノに「気」がつくという日常もニューノーマルには必要かもしれない。

 




2018年 明けましておめでとうございます。

2018年が静かに幕を開けました。川越氷川神社に自転車で初もうで。我が家の仙波から氷川様へ、川越は坂が多いと実感。自転車や徒歩で回るということは地域を知ることで大切。今年2018年は積極的に自転車に乗って情報収集をしようと考えました。

川越氷川神社23代宮司、山田禎久氏が「60年ごとにおとずれる変化の年。60年前は今上天皇と美智子皇后が婚約された。明け年2019年には陛下が譲位されるということは感慨深い。平成の元号は地平らかに天成る、国の内外、天地とも平和が達成されるようにという意味。平成という元号を今一度考え、よき一年を」とご挨拶されました。

1人でも多くの皆様が幸せが実感できますように、レインボーネット川越もよりよい情報を配信していきます。今年もよろしくお願いいたします。




一年安鯛 川越氷川神社

川越氷川祭の山車行事がユネスコ世界遺産になって初めてのおまつり。今年は14日(土)15日(日)に開催された。

おまつりの神様がおわします、川越氷川神社は「縁むすび」のパワースポットとして静かなブーム。写真映えを競うソーシャルサイト「インスタグラム」でも大人気。今日はおみくじの紹介。

「一年安鯛」。なんとおしゃれなネーミング。真っ赤な鯛の尾の部分におみくじだ。

七五三の姿が多い今の時期。結婚式を挙げ、子供が生まれてお宮参り。続いて七五三に成人式。その間、初詣、夏祓い、など日本の伝統文化とともに暮らす中で、神社の存在は大きい。

 

 

 




地域の力でガードレール整備 川越・宮下町

ガードレール整備というとガードレールのない道にガードレールを設置したというのが一般的。しかしながらそれではニュース性はない。 今回の話は氷川神社前のガードレールの話。整備されたガードレールだが、だいぶ道路のほうに膨らんでいた。日に日に増える観光客、なかでも氷川神社は夏の八坂祭に夏越大祓、縁結び風鈴、秋の川越氷川祭の山車行事、そして季節を問わずに良縁を求めるパワースポットとして多くの人がお参りをする、その増加は著しいもの。整備した県は数の多い歩行者を考えての道路へ膨らみだったかもしれない。 しかし、地域の自治会、住民からは道路に膨らみすぎてかえって、子供たちの通学道路として危険、バス乗客の乗降に支障がある、また、川越氷川祭の山車行事の「山車曳行」にガードレールがふれてしまうのではないかなどの問題点があげられていた。 地域有志は地元選出の中野英幸県議に相談。できれば「国指定重要無形民俗文化財・川越氷川祭の山車行事」前にガードレールの付け替えをしてほしいと陳情。このたびその陳情が実り、ガードレールの膨らみは改善された。写真手間のグレーの〇が元の位置。住民の立場で、子供たちの目線で、文化の継承のために何が一番最善か?こういう「気づきの目線」がまちのパワーとなる。地域有志の人々の感性には頭がさがる。




小江戸飛雁会 再起動 氷川神社山田宮司講師に学習会

川越市内には各企業の支店、支社が存在し、そのトップは二年、三年たつと次の赴任地へ飛び立つ。トップを川越の市の鳥「雁」になぞらえ命名された「飛雁会」。代表幹事は共和木材の馬場弘社長。

「縁あって川越に赴任してきた企業戦士とともに川越について学び、川越のおいしいものを食べ、おいしいお酒を飲むという気持ちで過去2か月から3か月に一回開催し、50回くらいの勉強会を重ねてきた。卒業証書を出したこともある。現在時の鐘の修復、松平五代にわたる墓の修復、市内の存在する前方後円墳の逆の形(後方前円墳?)の保持から国指定文化財への登録推進など市内の文化財を一つずつ学ぶことも大切かと。このように多くの文化財が息づく川越市。これは天災に合わない地盤の強さ、住んでいる人の経済力と行政支援のたまもの。飛雁会のみなさんには川越のいい面をたくさん知って、川越ファンになっていただき、個人的な川越親善大使になって全国各地に飛び立ってほしい」と馬場代表幹事から挨拶があった。

山田禎久氷川神社宮司 講演

涼しい風に乗ってお囃子の練習の音が聞こえてくると川越っ子の心ははやる。町中に紅白の幕が張られお祭りの準備が始まる。数日間貼られる紅白の幕は「軒端ぞろえ」「軒ぞろい」と言われ古い書物には「マチゾロエ」と記されているものもある。

「まつり」の語源は①待つ(神様を待ち受けてごちそうを差し上げ今後の安寧をお願いする)②奉る③昔はほとんどの家庭が農業。そしてお祭りの時だけお寺や神社の門前に市が立つ。「市」とは賑わいを表すもので「市」はマチ。と考えられる。祭りの時はお休みで、神様へごちそうを供え、そのごちそうをいただくこともできる。祭りとはレジャーでもあった。神様と人、人と人がふれあう場が祭だった。

川越まつりは最大のイベントという言い回しはふさわしくない。「祭り」と「イベント」は真逆。「イベント」は毎回工夫しないと陳腐化しあきられてしまう。「まつり」は100年前も100年後も同じことの繰り返し。このがんこなことがまつりの意義を高めていく。

日本人は風、石、草木、海、川にも神が宿るとし人間の力が及ばないものとして手を合わせる、それが宗教心、精神文化となってきた。山、森、川、海から自然の恵みを得て、恵みに感謝しつつ、一方で津波、洪水、大雨といった自然災害を畏れた。また農耕民族と狩猟民族は根本が違う。狩猟民族は狩りの出来不出来が差となる。農業の中心は稲作であり、豊作も凶作も共同体として受け止めなければならない。自分だけ、個人だけがいいということはなく、個人が豊かなことは地域も豊かであるということ。

長瀞にある宝登山神社の宮司は「宝物は田からなるもの、稲ではないか。稲の生育は人の工夫や努力だけではなく、おひさまが降り注ぎ、水がうるおいを与え、風が吹き、人間の力を超えたところにある」と教えてくれた。人間は成功は自分の努力と能力があってと思いがちだが、自分だけの力だけでは成功できないもの。

おまつりは個人的なものではく、個を超えた公の祈りの場。春まつり、夏まつり、秋まつりそれぞれに精神的な裏付けがあり、いつの時代になってもかわらないものがおまつり。

武蔵の国に集中する氷川神社、その数280。荒川ぞいに点在することから荒れる川を鎮めることからか?川越氷川神社には5つの柱(柱は神様のこと)が祀られている。二組の夫婦と出雲大社の縁結びの神、大己貴命が祀られていること、この神々が家族であることから縁結び、夫婦円満、家庭円満と崇敬されている。氷川神社が創建された日を再現するのが川越まつり。氷川神社が創建された日、誕生日を祝う意味ではない。旧暦の9月15日、奇しくも関ケ原の戦いで徳川が勝った日でもある。神幸祭は川越まつりの起源。私は馬の乗り神様を警護する、神幸行列の後ろには山車が並ぶ。神様がまちにお力をふりまく日である。

新たな技術や科学の発達。その発達に追いつくことで安心を得ようとしている向きがあるがそれが真の安心なのか?何年たってもかわらないものをよりどころとすることも大切なのではないか。中島みゆきの「糸」という唄から考えると縦の糸は先祖から子孫へつながる川越の歴史、横の糸は今を生きる川越の街の結束、その交差点がまつりではないか。この縦の糸、横の糸が織りなす布が川越を守っていくことを信じ、氷川祭の根本的な歴史を語るおまつりを継続維持していきたい。

 

 




梅雨明け さあ何からはじめますか?

 

関東甲信地方の梅雨明けが報道された。どんより雲の日々が続いて、暑さはやわらいでいるものの心の躍動感がいまひとつだったのは梅雨明けという言葉がなかったから。

梅雨が明けて、何からはじめるか?

海へ、山へ、花火大会、BBQなどイベントは目白押しだ。

川越氷川神社では人気の「縁結び風鈴」が音を競いあいながら夏の風情を演出。

むすびCAFEでは、夏らしいスイーツが楽しめる(17時半ラストオーダー)。

そして、竹毬風鈴オブジェ、天ノ川ノ願イゴトの照明はなかなかロマンチックだ。

夕暮れから宵にかけての氷川様、ポケモンGOで液晶を見つめることはいつでもできるから

風、音、闇、光、を大切な人と楽しむことは「川越の粋」だ。

今川越市中を走る西武ハイヤーの車体には「縁結び風鈴の」アドが。

蔵のまち口(本川越東口)から西武ハイヤーで片道定額800円実施中。(8月31日まで9時から21時まで)