三浦雄一郎さんはリモートで!国際ロータリー地区大会川越で開催

国際ロータリーは埼玉県内では西北と東南にわかれ活動している。埼玉県西北部・国際ロータリー第2570地区(50クラブ 会員数約1600名・相原茂吉ガバナー)が11月3日ウエスタ川越で地区大会を開催した。

コロナ禍で新たな日常生活様式がはじまり、地区大会のテーマも「ニューノーマル」。相原茂吉氏の父は川越名誉市民であり「相原求一朗」として画壇で活躍、ロータリー活動にも熱心でロータリーの地区代表・ガバナーをつとめた。親子二代にわたってのガバナー就任は全国でも珍しい。

講師は三浦雄一郎氏。三浦氏は入院中の札幌の病院からリモート出演。子息の豪太氏がウエスタ川越で親子対談。80歳のエベレスト登頂の模様の画像を含め人生論を展開した。三浦氏は「いくつになってもあきらめない、常に人生の準備をし、新しいチャレンジをするべき」ときっぱり。極限をしる親子だからこその対談に会場はひきこまれた。

また国際ロータリーの会長代理として群馬より高崎経済大学教授をつとめた田中久夫氏が出席。田中氏は「知好楽」(知識を得て、好きになって楽しもう)といった人生哲学を述べた。

コロナ禍を乗り越えて、会社を支え、地域に貢献するロータリークラブの人々。みんながつらい、厳しい。しかし、前を向いていく姿勢は大切だ。




国際ロータリーが日本創立100周年。記念切手が販売。

国際的な奉仕団体。国際ロータリーが東京に設立されて100周年。それを祝った切手が発売されている。

埼玉県は2570地区と2770地区に分かれている。

川越をはじめとする2570地区には50クラブが存在している。少子高齢化、コロナ禍、などで会員数の減少ではあるものの、職業を磨きながら、人生哲学を学べ、国際社会にも地域にも貢献できるという理念に賛同する人は多い。

今回の切手は84円10枚1シートで各郵便局で購入できる。

ロータリーが掲げる重点目標がイラスト化されている。




秩父 井上豊さん(井上成美堂)テレビ東京 なんでも鑑定団に出演!

「開運なんでも鑑定団」は自宅に眠っているお宝を鑑定する人気長寿番組。

6月11日(火)か、18日(火)テレビ東京(チャンネルは7)午後8時54分放映分に秩父の井上豊さんが出演する。

井上さんは秩父で印刷会社を経営。まちおこしや地域社会奉仕にも取り組むパワフル人間。

特に井上豊さんは国際ロータリーのプログラム米山記念奨学生(返済不能の奨学金をアジアなど外国から訪日する優秀な学生に与え、将来日本との懸け橋になってほしいという願いと三井信託銀行創設者米山梅吉翁の遺徳を偲んで創設された基金 歴史は60年以上)を秩父皆野・故医師の金子千侍先生(秩父音頭の家元)の道場に招き秩父音頭を特訓し、秩父音頭まつりコンテストに出場させる行事を長きにわたってサポートしているまさに草の根国際外交を体現実行している。

井上さんが「なんでも鑑定団」出品されたものは「シリンダーオルゴール」。さて結果はいかに・・




注目された小江戸川越打ち水風情 

川越百万灯夏まつりは7月29日30日と盛会裡に開催された。

12年も続く「小江戸川越打ち水風情」は川越市内の4つのロータリークラブ(川越ロータリークラブ、川越小江戸ロータリークラブ、川越西ロータリークラブ、川越中央ロータリークラブ)が始めたものだ。

この歴史は大変古く川越藩主松平斉典公の遺徳を偲んで1850年に提灯を掲げたことからとされ、その歴史は160年以上。

今年度は川越小江戸ロータリークラブ(金子貞男会長)が幹事クラブとなって設営を手がけた。使用する水は幸すしさんの井戸から組み上げたもの。

2017さいたまクールアクションにもエントリーしたこのイベント。

金子会長は「先人たちの作り上げた伝統を次の世代に。そのバトンの引き渡し役として、今を生きる私たちがいます。ロータリークラブは国際的な奉仕団体として百年を超えましたが、川越の歴史はもっと古い。世界平和と地域の活性化、幅広い視野で今後も活動していきます。今日は川越の街に着物姿を増やす会の小杉会長にもご協力いただいています。市立川越高校の女子生徒も花を添えてくれました。」と笑顔がはじけた。

多くのカメラマンたちに注目されたこともあり、「川越小江戸打ち水風情」はさらに進化をするに違いない。




埼玉の米山の父 逝く 元国際ロータリー第2570地区ガバナー金子千侍先生

「秩父音頭」を踊れないと「旦那」とは言われない。戦前戦後から言い伝えられてきた盆踊り。

「秩父音頭」は秩父市で生まれたものではなく発祥の地は皆野町だ。 口伝されてきた唄を「秩父豊年踊り」として昭和初期復興させたのが医師でもある皆野の俳人・金子伊昔紅(かねこいせきこう)。毎年14日皆野町で「秩父音頭まつりコンテスト」が開催され、秩父谷の皆野町のメインストリートには何か所かの練習スポットが設けられそこにはのど自慢の歌い手が「花の長瀞あの岩畳誰を待つやらおぼろ月」など秩父の風景が盛り込まれた秩父音頭を披露。合いの手の「そうともそうともそうだんべ」が哀愁を漂わせる。

さて金子伊昔紅氏のご子息が今でも意気軒昂に活躍する熊谷在住の俳人「金子兜太」先生。その弟が「金子千侍」先生。

金子千侍先生は家を継ぎ、皆野町で医師として活躍。先月闘病の末ご逝去されたが、聴診器を持たなかったのはご自身が入院された時だけ。88歳。俳句の会を主宰したり、国際ロータリーでは埼玉西北地区の顔・ガバナーにも就任。以来アジアを中心とした海外からの留学生支援プログラム・米山記念奨学会の副理事長として多くの学生から「埼玉の米山の父」と慕われた。特に「俳句に親しむ」「秩父音頭を踊る」といった日本文化を留学生に指導。将来日本と自国のかけはしになるであろう留学生により日本に親しみをもってもらえるかを発信しつづけた。

「秩父音頭」は秩父のシンボル武甲山、大きな鳥が秩父連峰を舞うシーン、秩父産業の一つ「蚕」、女性が手鏡を使う仕草などがとりいれられている。金子千侍先生は秩父音頭の家元として、80歳を超えても背筋をすっと伸ばし、指先、目元まで神経のゆきとどいた「踊り」の手本をしめしてくれた。

金子先生がそちら側に逝ってしまったという実感がまだない。今年の盆の「秩父音頭まつり」。先生のいない審査員席が想像できない。

伊勢谷珠子