川越木屋製作所の移転は毛呂山のカンフル剤に

日本のトラック業界を牽引する日野自動車、いすゞ自動車。その二代巨頭の一次サプライヤーとして不動の地位を築いたのが川越・株式会社木屋製作所。

その歴史は旧く、天保元年にお蚕様の座繰機を製造。以来生産品は脱穀機からトラック部品へと変遷する。会社が進取の精神で時代の流れをキャッチし、発想の転換をしてきたからであろう。木屋製作所の板金プレスは一流でもある。ものづくりの川越が誇る技術力であった。

ここで、業務拡大もあって、川越から毛呂山町へと移転となり竣工披露が行われた。

式典には日野自動車からは市川代表取締役会長、いすゞ自動車からは都築常務が列席。木屋の技術力の高い評価をうけている証左でもあった。お祝では川越鳶組合木遣り会が祝木遣りを披露。西村平雪頭取が「川越の工場にあったお宮を毛呂山に移設。お宮を分解し掃除したら、四代前の西村の記名を発見した。当時から西村は木屋さんに出入りさせてもらっていた。歴史を感じる」とエピソードも明かした。

急逝したオーナー・水村家から一旦バトンを引き継いだ橋本孝雄氏の経営戦略で木屋製作所は着実に歩み、100年企業として、水村常人新社長にそのバトンは戻された。企業は人なり。橋本社長は会長職に、今後も橋本イズムを踏襲し木屋製作所は飛躍の道を進む。そして、優良企業の誘致はマチのカンフル剤に。毛呂山・市場地区の木屋製作所は世界の日野・いすゞにつながる扉でもあり、マチの活性化には不可欠な存在になることは間違いない。

写真は左から水村新社長、井上健次町長、橋本孝雄会長