歴史と伝統と栄光と 笹田裕7段昇段を祝う

このほど笹田道場63周年、笹田延男先生生誕100年、そして笹田裕道場主7段昇段を祝う会が川越・ラボアラクテで開催された。

リオデジャネイロ五輪オリンピア 銅メダリスト羽賀龍之介選手(川越市スポーツ賞受賞 グランドスラム大阪で100キロ級制覇、今後の欧州ツアーの成果で東京2020出場も射程距離に)。笹田道場で幼稚園の時初めて柔道の扉を開き、柔道の基本を小学校3年生まで学んだことから羽賀選手の両親も会場に訪れた。羽賀選手の活躍で、笹田裕道場主はメデイアにもひっぱりだこ。今回、羽賀選手には笹田道場主から「感謝状」も授与された。

会場には笹田道場笹田道場から巣立った現在川越柔道界を牽引する先生方、杢三兄弟をはじめ、技を磨く児童生徒も集まり、年齢層は70年の幅だった。笹田道場の63年の歴史を振り返るスライドショウはお弟子さんたちの手で製作された。その画像は参加者の人々をその時代へタイムスリップさせ、会場内は笑顔の花でいっぱいとなった。

「基本に忠実に原則左組み、きちんと組んで技をかける」の結果、笹田道場からは羽賀選手、杢3兄弟をはじめ、国体出場のべ35名、インターハイ出場のべ17名、の選手を輩出してきた。

「これからも支えてきていだいた選手・保護者の方々、諸先輩方に感謝し、(judo life)を続けていく」と笹田裕道場主、隆子夫人とともに豪快に笑った。

写真は檀上 挨拶する羽賀選手父上(エリート柔道コーチ) 羽賀善夫氏 左が笹田裕氏

 

 

 

 




桜の戦士パレードに今一度ありがとう!

ラグビー日本代表。このたび凱旋パレード。なんと5万人が押し寄せたという。

強靭な肉体、それをうわまわる精神。一戦一戦に感動をもらった。

ラグビーを良く知らなくて、「あの髪形はなに?」と思っていたが、あの髪形で敵をゴシゴシすることに役立つと聞いて、納得。ラインアウトで選手を持ち上げる選手、スクラムでまさにカラダを張ってのプレー。

修飾語に「がっちりスクラム組んで」と使用することがあるが、それを目の当たりにできた2019年の秋。

四年に一度ではない、一生に一度だ。というキャッチコピーが躍っていたがまさにその通り。

その反面、菅官房長官が今年の一字に際して、「桜という文字は見たくもないし、聞きたくもない」とコメント。日本を代表する桜、ラグビー日本代表は桜の戦士、菅官房長官、あまりにひどくはないですか?

 

 




でんけん?知っていますか?

「でんけん」とは伝統的建造物群保存地区の略称。

川越の「でんけん」は、北は札ノ辻交差点から南の仲町交差点にかけて。明治26年川越の大火が町をおそったとき、豪商は競って蔵造りの建物をたてた。しかし、町のにぎわいは川越駅周辺へとうつっていった。そこで、昭和62年川越一番街商業協同組合を中心に「町並み委員会」が発足、平成4年の無電柱化など歴史的な町並みを生かしたまちづくりが、市民と行政との間で活発化し、大きな動きとなる。結果、平成11年市が指定した区域が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

以来、市・市民の一体感で歴史的な町並みに合わせた外観をしていく機運はたかまり、隔年ごとに都市景観表彰もされてきた。そして、このたび、選定20周年を記念し、まちづくりシンポジウムが開催された。

オープニングは川越初雁中学校吹奏楽部の演奏で場が大変和む。続いて、「川越伝建地区の過去・現在・未来」と題し、千葉大学名誉教授の福川裕一氏・文化庁文化財調査官・清永洋平氏が基調講演。「住民主体のまちづくり」のパネルデイスカッションは倉敷から中村泰典氏、京都から長谷川明氏、そして川越からは川越町並み委員会委員長・原知之氏(陶舗やまわ)3名で行われた。

中でも川越市伝統的建造物群保存地区保存審議会会長もつとめる福川裕一氏は「美しい町は、細部に魅力が宿っている。住んでいる人々を中心に、生きている文化財の中に人々の生活があるということを認識してほしい。その土地の発する声を聴き、次世代がイキイキと暮らせるまちへ、さらに川越として固有な魅力を大切に世界に誇る歴史都市となってほしい。」と語った。

川越市も令和の時代から次なる世代へ、歴史ははじまっているのだ。

 

 

 




川越喜多院 インスタ映えスポット

川越喜多院では和傘と紅葉のベストロケーションが15日まで楽しめる。

連日 インスタ映えを狙って多くの人が訪れている。

喜多院の歴史を感じながらのワンショット、いかが?




今話題の野口勲さん(飯能)とは。

ラグビーワールドカップで日本代表が胸に付けた桜のエンブレム。「ブレーブ・ブロサッムズ」(勇敢な桜の戦士たち)をあらわす。桜の国ニッポンで活躍した日本代表。その感動の象徴である「桜」が、いまや「桜を見る会」に席巻されているとはなんとも皮肉。

その「桜を見る会」で一躍話題の人となった野口勲さん(飯能在住)。「のぐちのタネ」の店主とメデイアでは紹介されていたが、それだけではない、野口さんは大物なのだ。

一つ目、野口さんは手塚治虫氏の虫プロ在籍の経歴。それが縁となって飯能にアトム像が建てられた。当時は天覧山のそば「にこにこ池」に建立となった。(現在の状況は未確認)。二つ目、飯能青年会議所発行の機関紙「はんなーら」。とても素晴らしい出来栄えで、全国的な表彰を受けた。表彰を受けただけではなく、青年会議所という団体が「まちづくりへの提言」を真摯にする組織ということを市民に知らしめた。

野口勲さんは企画力、表現力が冴えわたっており、昭恵夫人がお店に立ち寄ったことから「桜を見る会」の招待となったか否かということではあるが・・野口さんの指南があれば昭恵夫人の行動規範が充実するのではないか、と、野口勲さんを知る人は語る。