思いやりもコミュニケーション フリーアナ遠藤泰子さん講演

昨秋川越市内で「税を考える週間」行事の一環でフリーアナウンサーの遠藤泰子さんの講演が川越法人会主催で開催された。テーマは「あったかいことばで話したい~美しい日本語とコミュニケーション~」。

トレーニングを積み、なおかつ放送局の最前線で活躍されてきた遠藤さんの言葉には重みがあった。

遠藤氏は「言葉は消しゴムでは消すことができない。一回口から出た言葉は取り消すことができない。口から出るのは自分の心と思っていい。日本の文化の一つに漢字がある。忙しいという字を分解すると心を亡くす。體という字を分解すると骨が豊かとある。骨が豊かであって初めての健康なのだ。永六輔さんとのラジオは番組は46年間。永さんは言葉の師匠。永さんの素晴らしいところはなんでも興味を持つこと。いろんなことを教わった。かける言葉、手紙に託す言葉、言葉は大切だ。たった一秒の短い言葉でも大きな役割を果たす、それは何か?「ありがとう」だ。また語尾も大事。語尾が上がるのか、下がるのかでイメージがぐんと変わる。また思いやりもコミュニケーション」と結んだ。

政治家にとって言葉は命であると先日の記事に書いた。しかし遠藤さんの講演を思い出し、当日のメモをひもといた。言葉はコミュニケーションであり、政治家でなくても「人」としても言葉は命と再認識した。一度口にした言葉は取り消せないし、たった一言ですべてを失くすこともある。口からでるものは自分の心のありよう。逆に言えばその言葉を受け取った人は相手の心をそこに見ることができる。言葉を大切に「素敵な人間」になれるよう、いつまでも修行が肝要と心した。

 

 




蔵・倉・くらの企画展 川越市博物館で14日まで

蔵のまち川越。川越を代表する「蔵」についての企画展が川越市立博物館で14日(日)まで行われている。

この企画展では、蔵造りと川越の町並みの歴史をひもとき、蔵そのものの役割などを紹介。

蔵造りのまちなみが多くの観光客を呼び込む空間となったあらましや、市民が主体となったまちづくりの歴史、なども知ることができる企画展でもある。

詳しくは

川越市立博物館 川越市郭町2-30-1 049-222-5399まで

 

 

 

 




今日5月2日は八十八夜 

今日は八十八夜。埼玉県は三大銘茶生産地(狭山茶 入間狭山飯能所沢)ということもあり、八十八夜の風景というものはなんとなく目になじんでいる。

八十八夜は立春から数えての日数。今年も光陰矢の如し、日にちがたつのが早いものだ。

「俳諧満寿鏡」には「猫やせて八十八夜すぎにけり」とある。

春といえば猫ちゃんの恋の季節。恋したり恋されたり。猫ちゃんの春は壮絶で身も細ってしまうのか。「この俳諧満寿鏡」は文久2年・1819年のもので、当時より猫ちゃんの恋は活発であったのだろう。

ニャンコブームで「ネコノミクス」「猫まみれ」などその勢いはとどまらない。

写真は我が家の猫だが、10月生まれなので今月先生に執刀してもらい「不妊手術」をした。外を一度も歩いたことがない箱入り猫だが、十分なケアをすることは「親」の責務なので。

華やかな夜の街、六本木や赤坂などでは高級小型犬の捨て犬、高級猫の捨て猫たちがうろついてると聞く。お客さんにおねだりして買ってもらったペットに手を焼いて捨ててしまう「夜の蝶」。ぬいぐるみとは違うペットたち。もっと理性をもってほしいものだ。

一方、地域猫の会の活動は、愛情をもって猫たちの不妊去勢手術を展開している。その活動の前進として川越市でも飼い主のいない猫の不妊、去勢手術費用の一部を補助することになった(詳しくは市食品環境衛生課)。地域猫でその手術をうけた猫たちは片耳にV字の切り込みがいれられてハート耳になる。

一匹でも多く幸せな犬生、猫生が増えることを願いながら八十八夜の今日を過ごす。




言葉と政治家

今村復興大臣だけではなく、政治家の発言にはびっくりすることが多くなった。憂慮すべき事態であることを政治家がどの程度認識しているのかが気になるところ。

そんな中、伊吹元衆議院議長が派閥の会合で「失言防止6つのた」であるということを話した。

伊吹氏は労働大臣、国家公安委員長、文部科学大臣、党幹事長、そして衆議院議長までつとめあげたまさに重鎮。着物もよく似合い、京都出身らしい人。

六つの「た」とは

「立場」をわきまえる。「正しい」と思っていることを言うとき。「多人数」の前で話すとき。「旅」先で笑いをとろうとするとき。「他人」への批判。「たとえ話」をするとき。だそうだ。

自分の立場をわきまえて話す。正論と自分で思っていても世間ではそうではないかもしれない。「多人数」の前ではなおのこと言葉尻まで気をつけなくてはならない。「旅先」では気も大きくなって放言しがち。他人への批判はなるだけ避ける。政治家は「ブーメラン」となって自分にはねかえってくる確率が高い。「たとえ話」はわかりやすくも、誤解を招くこともあり、また一歩間違えるととんでもないことに。

伊吹氏の伝授はすべての政治家への指南になってよかったと思っていた矢先、新復興大臣の吉野氏が「福島は今原発と戦争しているんです」と発言。

なんともお粗末。政治家にとって言葉は命。また言葉に責任感がないと政治は劣化してしまうのだ。賢い有権者としては、国でも地方でも「政治家」の発言に研ぎ澄まされた感性をもつべきだ。