斬新で繊細 さおり織、裂き織に会いにいきませんか? 織り工房「英」(川越 石原町)

6メートルの反物を一週間で織りあげる溝井英貴さん。糸のセレクトは天性のカンで。その「芸術性」「創造性」には感動だ。その美術の才能を見いだしたのはご両親、溝井敏幸さん啓子さん。自らの衝動のまま表現した芸術は「生の芸術」(アールブリュット)とよばれ、今注目をあびている。

「英貴はきっちり織り上げる。その織りはバックなどに適していると思う。今後は長い間愛用してもらうために、皮とのコラボレーションも考えています」と父敏幸さん。

一階は当サイト既報「カナデイアンバー・レストラン メープルリーフ」。
二階への階段を進むと工房が。

工房には英貴さん、敏幸さんの織り機が並ぶ。敏幸さんは裂き織り。着物を裂き糸にしたものを織り上げていく。リサイクルそのものであり、唯一無二、世界でたった一つ、究極のオリジナル。
この秋冬流行のポンチョなどが15000円前後から。軽いし暖かいし、柔らかい。

純真無垢な気持ちで無心に織り上げる英貴さん。その独特な感性は不可能を可能にするパワーと限りないやさしさをも産み出していく。

伊勢谷珠子

■カナデイアンバー・レストラン メープルリーフ>>URLはこちら

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光る藤縄市長のビジョン

鶴ヶ島市。関越道、圏央道のインターチェンジを持つ交通の要衝。
若葉駅周辺にはショッピングモール、林立するマンション。住みやすい町のイメージが強い。さらに農産物をもたらす田園地帯。都市と田園、二つの魅力を持つ埼玉県のモデル版でもある。

一方、オリンピック開催年に行われる「脚折の雨乞い」。古くから伝わる伝統的な民俗行事として密かなブームだ。
まちづくりを牽引する市長は藤縄善朗氏。市役所職員出身。県立川越高校時代は制服廃止運動なども展開した、常に時代を先取る姿勢は昔も今も変わらない。今年、埼玉県市長会の副会長に就任した。

鶴ヶ島市は、鶴ヶ島を「雨乞いのまち」として全国へ、世界へと発信すべく「脚折雨乞い観光資源化基本構想」を策定。それには埼玉りそな銀行が相互に連携する協定という形で取り組む。
まちと金融が1つの目的にそって「連携協定」を締結するということは斬新でもあり、市民にとってもワクワクする期待感を産み出すことになりそうだ。

藤縄市長の考える「雨乞いのまち 鶴ヶ島活性化ビジョン」は
①市民による鶴ヶ島コミュニテイ意識の形成(シテイアイデインテイの確立)②外に向けての鶴ヶ島ブランド発信(シテイプロモーション)③特産品開発④産業振興⑤地域づくり これらを一体感をもって取り組むという。

次回の雨乞い行事はリオ五輪の2016年8月、まさに2020東京五輪のプレイベントになる。
しっかりした構想をもって、取り組めば、必ず「雨乞い行事」は国際的観光イベントとして進化するはずだ。

藤縄市長は「地域の課題を知り、未来を見通した上で、いかに生きた地域を創造していくか、想像力、総合力が必要だ」と力説する。藤縄市長のビジョンはキラリと光る。

地方選挙の投票率下落がとまらない。市民の地方政治への無関心は地方議会の未来に向けての躍動感不足によるものか?市長、行政、議会が一体となってまちを前に進めていく。簡単にいえば魅力あるまち、すみよいまち、自慢できるまちにしていく努力を市長をはじめとするその三者が見える形にすることこそ、市民の政治離れをくい止める近道かも知れない。
伊勢谷珠子




川越ブランドの醤油をおにぎりで

所用で秋田県に。両脇雪で囲まれた秋田道を進むと見慣れたトラック。
埼玉で元気な企業の一つ、アサヒロジステイックのトラック。
関東圏を制覇、北上し、シェアを広げ、秋田県に営業所を構えたということを目の当たりにした。

しばらく走ると視界に雄大な秋田富士。雪化粧の鳥海山。
この麓で川越工業の生徒がエボルタ電車を走らせギネス達成したのは先月のこと。今、その生徒たちの勇姿はエボルタ電池のCMでオンエア。

埼玉から離れても、地元の活躍を回想できることはうれしい。

さらに、車には川越市内で購入したLAWSON焼きおにぎり。

創業250有余年の川越松本醤油。その建てられた蔵のなかで、日本古来の天然醸造でできあがった初雁もろみ。このもろみを木桶に二年間自然のまま発酵させ出来上がった、ぜいたくな手作り醤油がはつかり醤油。
LAWSON焼きおにぎりは、はつかり醤油の味付けだ。

おにぎりパックを開けた時に、はつかり醤油の食欲をそそる匂いが。
まずは、一口ぱくり。ほんのりした甘さと香ばしさが口いっぱい広がる。醤油が染み込んだもち米も期待を裏切らないモチモチした食感。おにぎり噛み締めた喉ごしにも鼻に抜ける醤油の香りがさらにあとを引くおいしさだ。
川越ブランドここにあり。ぜひ、お試しあれ。

新井敬子




朝霞・上尾市議選・悲喜こもごも

2015年冬の陣。朝霞・上尾市議会議員選挙が終わった。

上尾市は36・80%という過去最低の投票率。現職22名新人6名元職2名の内訳。トップ当選は日本共産党だ。川越市議会も日本共産党だった。定数30のところ33名立候補。川越市議会は定数36議席のところ47名立候補(新人候補の数は11名)であったため、何がなんだか、ぼやけてよくわからないという声を聞いた。上尾市の場合は少数激戦、選ぶ側にとってはわかりやすかったかも知れない。埼玉10区選出衆議院議員山口たいめい事務所で秘書として汗を流した新道龍一氏33才も初陣を飾った。

朝霞市は34・09%というやはり過去最低の投票率だった。現職18名新人5名元職1名の内訳。トップ当選は公明党。上位10議席の中5名が公明党という圧倒的な強さをみせた。定数24議席のところ28名立候補。最終の議席はなんと1票差だ。すべりこんだ人、おしくも議席を逃した人、なんともいえない心中だろう。前回トップ当選だった松下市議は勢いをなくした。松下市議はみんなの党解党から継承政党日本を元気にする会からの出馬。前回より1456票の下落だった。二期目の選挙は大変というのも選挙の常套句であるが、政党に翻弄された感も否めない。そして、「NHKから国民を守る党」というNHKを詐欺集団と言い放つ新人大橋候補は1278票獲得して市議会議員になった。この動きは来年行われる新座市議会議員選挙にもあるらしく・・・・・。まちづくりとNHKという構図に違和感を覚える。

とどまることをしらない低投票率。この対策もどうすれば改善されるのか。。政治の原点は「市民生活を守る」。この原点を多くの市民に知ってもらうことからなのか。二つの市議選であらためて「まちづくり」を考えた。

三潟 正義




リオ五輪に大きく前進 柔道羽賀選手 川越笹田道場で基礎を学ぶ

リオデジャネイロオリンピックまで1年。各種目でオリンピックへの切符をめざし、選手たちが熱い戦いを繰り広げている。柔道・グランドスラム東京大会は6日最終日を迎えた。

男子100キロ級決勝で初優勝を飾った「羽賀龍之介」選手。名門東海大学から現在は旭化成。羽賀選手は幼稚園から小学校三年生まで、川越・笹田道場(笹田裕道場主)で柔道の基本を学んだ。笹田道場なくして、羽賀選手の現在はないと言っても過言ではない。(古来より三つ子の魂百までと言い伝えられている)

父親の転勤に伴い、横浜に転居。少年柔道では日本一である「朝飛道場」でますます頭角をあらわし、全国的な選手に育った。東海大相模高校、東海大学では個人も団体も優勝。今年世界選手権で初優勝。日本の羽賀から世界の羽賀へ大きく前進した。

両親、京都から来たおじいさんとともにアリーナ席で張りのある声で声援を送った,羽賀選手の原点でもある笹田裕先生は「大変期待されていたが、ケガで低迷した時期もあった羽賀選手。今年に入ってこの大会を含め国際試合に4試合連続で優勝できた。来年のリオ五輪に照準をあわせてメダル獲得をめざしてほしい。」と語った。写真は笹田先生提供。

伊勢谷 珠子

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大人の技

歌手谷村新司さんが言っていた。

「怒ることって何も生み出さない」「笑っていればいいことが起こりそう」。けだし名言。

夫婦も友人同士も、会社の人間関係も(もちろん怒ることと指導は違う)。

最近の若者は・・・・・こういういい方は太古の昔からあるそうだが。飲食店はこの年末年始が勝負時。飲食店を経営するY女史が「雇用したはいいけどいきなり無断欠勤ってどう思いますか」と美しい柳眉をあげて怒っていた。もう一人の食料品店S氏も「面接アポとっても連絡すらない」と口をとがらせていた。最近の若者はコミュニケーション力が足らないのか、常識というものをわきまえていない気がする。こういう時に、谷村さんの言葉を思い出し「怒る」のではなく、「いざ働きだしてドタキャンの素質を出されてはたまらない。早くわかってよかった」とかわすのが大人の技か?

「笑っていればいいこと起こりそう」。笑顔は人を幸せにする。確か関口勇市議会議長のキャッチフレーズは「笑顔が笑顔を呼ぶ」だった。政治に携わる人はやはり「笑顔が一番。」ある選挙に臨む新人候補に先輩格の議員が「とにかく困った時は歯をみせちゃう。そうすれば相手は嫌な気がしない」と指導していた。谷村語録、べースは一緒なのだ。

さて休会中の川越市議会。今週9日には再開。これは別次元の「大人の技」が必要だ。

市の事業は市民から預かる大切な税金を使って執行されていく。市長をはじめ、行政の執行部は市民にわかりやすく、明確に「説明責任」を果たしていかなくてはならない。そして議会、議員側はチェック機能を果たすべく「適正かどうか」を審議するという役割がある。川越市がまちがった方向にいかないように舵を市長、市議会が力を合わせて進むことが市民の幸せにつながる。市長与党といわれる議員、市長野党といわれる議員それぞれに思惑があるのは当然ではあるが、市議会を「不毛地帯」にしてはならない。市議会は市民から選ばれた「選良」のグラウンド。「大人の技」で円滑な議会運営をすすめてほしい。

三潟正義




モネ展 13日まで 東京都美術館

光と影と色彩と優しさと 印象派の巨匠クロードモネ。「モネ展」は大盛況のうちにあと1週間となった。

11月3日の読売新聞に歌手「松任谷由実」さんがモネの魅力を語っている。「モネを見ると必ず泣けてくる」と。感受性がそこまで強くなく、ユーミンのように芸術性に研ぎ澄まされていないのでその域に達することはできないが、「ほんわかした気分」「素敵だな」という胸がざわざわする気持ち、「モネ」から味わうことができる。

さらにユーミンは「モネの睡蓮には日本人の清廉でストイックな感性があって、水面が空にも見えてくる。恐るべき集中力でものを観察し、理解している。(中略)音楽は時間をデザインするけれど、モネは絵でそれができた」と続けた。あっ!こういうことが日本人の琴線にふれるモネの魅力か・・・と再認識した。

さて、さいたま市の埼玉県立近代美術館。ここは建築家黒川紀章デザインの建物と館内には椅子が点在、またおいしいイタリアンが食べられるレストランも。そして、特筆すべきはクロードモネ18才の作品「ルエルの眺め」も常設展示されていることだ。「モネ展」の余韻を楽しめるということだ。

年末の気ぜわしい毎日。美意識だけは忘れずにいたいものだ。

菅原 擁子




川越市議会・議案質疑で空転

先月27日にスタートを切った川越市議会12月定例議会。新給食センター案件について、議案質疑の段階で議会がとまり、議会再開は9日になった。

この給食センター建設についてはPFI方式をとりいれるもので、(PFIとはプライベート・ファイナンス・イニシアテイブの略で公共施設の建設、維持管理を民間のもつ経営ノウハウを活用し、リーズナブルで良質な公共サービスをすすめるという新しい手法)、注目をあびている。

新給食センター関連予算も150億円というもので、大事業だ。また改選まで13カ月となった市長選をにらんで、川合市長としては実績の一つにしたい事業でもある。しかしながら、まだまだ議案質疑の段階であるわけだから、市長も執行部も丁寧に慎重にすすめなくてはならない。

来年の市長選挙に民主党が対抗馬を擁立??という話、まだまだ生きている。地元だけではなく、市内全域を元国会議員が歩く・・・・。選挙1年前、ゴソゴソと動けば何かと話題になることは必至。そういう時期に議会空転。会期延長も?空転目立つ川越市議会の鎖は断ち切れていなかった。円滑な議会運営で市民生活の向上をめざす、これこそ原点。四月の市議会議員選挙から3回目の定例議会。またしても・・・という思いが強い。市民のための市議会、市役所は市民の役に立つ所、この原点追求のため、議員各位の奮闘を祈りつつ、市議会を注目していきたい。

氷川 まこと




癒された埼玉医大医療センターのひとこま

持病の定期診療で埼玉医大医療センターに。夕暮れとともに中島みゆきの「糸」が聞こえてきた。

医大もデパートと同じように診療終了を告げる音楽を鳴らすようになったのか?と思いながら会計窓口へ足を運ぶ。するとその音はどんどん大きくなり、???ピアノの演奏?

埼玉医大医療センターには処方箋受け取り窓口の近くに大きなピアノが鎮座している。その日はそのピアノに2名の女性が座り演奏をしていたのだ。なんと一人はオペ着。ドクターなのか。女医でピアノも弾けていいな!患者のために「ピアノ演奏」という演出をする埼玉医大っていいな!と率直な感想。

21世紀に入って15年・・・さまざまな場面で「時代が変わった」とよくも悪くも感じることがある。特に医療の現場では患者側が強くなっていることも無きにしもあらず。セカンドオピニオンという制度が定着したせいもあるかもしれない。「健康こそ宝」と常々思っているものからすると、医師は神様で、「生かされている」船の航路の船長である。かじ取りを失敗されては、病気に屈してしまい身動きがとれなくなってしまう。長年お世話になっている埼玉医大のドクターは時流に乗って、患者を大切に共に闘うという姿勢を貫いている。3つの科を受診したが、どのドクターからも偏った対応をされたことがない。美しいピアノの旋律を聴きながら、今まで受けたご恩を再認識した。

浅間潤子




川越駅とその周辺、今と昔 写真展は7日まで アトレ7階特設会場

川越駅アトレ開業25周年。早いものだ。川越駅西口リニューアルでお洒落なデッキで素敵な空間となったが川越駅の歴史を観る写真展がアトレ7階で開催されている。

監修、撮影をてがけたのは、ロイター通信で腕を磨いた写真家須賀昭夫さん。

「川越駅東口がこじまりとしていたあの頃。通勤通学で何気ない日常の居場所の一つだった川越駅。バブル時代真っ盛り、自分も金融会社のOLとして不可能なものはないと寒い日でもピンヒールにフォックスのコート、爪は伸ばして真っ赤なエナメル、そして髪の毛は前髪のばしたロングヘア(ワンレングス)。もちろんコートの下はボデイコンシャスのミニワンピース。付き合ってた彼は不動産関係者。あの東口駅前でクリスマスイブの日、真っ赤なバラの花束持って立っていた。(当時、六本木でも赤坂でもやたらと花束を抱えた男性がいた)。なんてことを回想しちゃうわね」と写真展で語ってくれたのは、川越生まれ育ちの50代女性。現在はお嬢さんの良縁待ちというママ。

今のように簡単にシャッターが切れる時代ではなかったから写真の重みもある。川越駅周辺の写真30点。当時を懐かしみ、今の自分を見直すチャンスになるかも。

浅間 潤子