埼玉県警を誇りに 弊社取締役岡部逸雄講演3 

機動捜査隊・捜査一課・組織力で事件解決

機動捜査隊は24時間勤務となる。事件発生とともに現場に急行する刑事の花形。犯人を追尾したり関係者から話を聞いたりする。在籍当時は夫婦の争いごとはなだめて円満解決という形であったが、現在は奥さんの言い分でDV・逮捕に、女性が守られる時代になった。

十年いた機動捜査隊では警察人生の中でただ一度ナイフをもった住居侵入犯と格闘。スーツのズボンを切られ「死」を身近に感じた。まさにテレビドラマそのものでその事件は大きく新聞に取り上げられた。

刑事部・捜査一課は殺人、放火、強盗、強姦、強制わいせつ、立てこもり、誘拐、医療過誤など。捜査二課は詐欺、知能犯、選挙違反、捜査三課は窃盗、泥棒、空き巣、捜査四課は暴力団担当とわかれている。

自分が在籍した頃の捜査一課は100名前後。(人によっては選ばれしエリートセレクトワンという矜持を持っていた)7名が1チームとなって班編成。殺人事件が発生し、捜査本部が立ちあがる。そこには担当班をはじめ、所轄警察を含めて百人以上の体制。被害者対策、地域の聞きこみ担当、被害者の交友関係、防犯カメラの解析、携帯電話のデータ解明など各分野にわかれて捜査をしていく。捜査本部には、刑事部長、刑事部参事官、捜査一課長、管理官、調査官、主任官、所轄署長がずらりと並ぶ。捜査員の中から私が担当させてもらった取調官は警部補以上。巡査部長のとき、先輩の取調べを学び、懐深く被疑者の心の中に入っていかなければ「自供」を導くことはできないと肝も銘じていた。

運よく、いくつかの殺人事件捜査本部の取調官を担当させてもらった。百人を超える捜査本部の中で取調官はたったの一名。それでも、チームで動いているので、一人でやっているという気持ちを一度も抱いたことがない。すべて、そこにいる捜査員のおかげ。一人一人の捜査員も「自供がなくても立件するぞ」という気概をもって証拠を集め万全の捜査をしているから。多くの仲間が足と気合いで稼いだ証拠を持って被疑者と向き合う。被疑者の生まれ育ち、家庭環境を徹底的に調べその心へはいっていく。どんな地域で生まれ、どんな学校で学び、どんな生活をしてきたか。こちらが裸になってうちとけていかないと被疑者の心を開くことはできないし、心情を話してはくれない。被疑者の思考をこちらも推理、推察していく。被疑者の口を開かせることができる刑事でなければ取調官にはなれない。被疑者を完全に落とさなければ(自供をとることができなければ)捜査員すべての努力が無駄になってしまう。大きなプレッシャーだ。

「落としの岡部」といわれてどう被疑者と対峙しどう落としていくか。被疑者によって生き方、考え方も違う。取り調べ方法もその都度変えなければならない。その重圧を乗り越え、被疑者を自供へ導き、逮捕、事件解決。この結果はすべての捜査員の努力あってこそといつも思っていた。「俺がやった」なんて態度が見えれば、仲間である捜査員から協力を得ることはできない。事件を明らかにするため捜査本部一丸となって、捜査員一生懸命になって、その結果の事件解決でもある。

被疑者ではない関係者の事情聴取を巡査部長の時に担当した。その人のノドの乾く様子や、動揺した雰囲気を見逃さず上司に報告した。上司からはそのまま続行して調べるように指示があり、結果その人間が眞犯人だったということもあった。巡査部長であったが、取調官の実質的なスタートとなった。

捜査一課在籍時代は、浦和の嘱託殺人、浦和のドンキホーテ放火殺人事件、大宮資産家女性死体なき殺人事件、吉見町ラーメン店主殺人事件、吉見町父親殺人事件、川越たてこもり事件、婚活詐欺連続殺人事件などを担当。一捜査員であったり、取調官であったり立場が違っても事件ごとに思い出がある。重要犯罪については被疑者取り調べについて「可視化」への移行がはじまった頃で、おそらく埼玉県警で取り調べ時の録音は自分が初めてだったと思う。

取調室で。被疑者には常に敬称をつけて対峙した。○○さんと。一方「事実は一つ」「被害者を思え」ということを念頭に被疑者を攻めていった。理詰めで追い詰めるのではなく、被疑者に心の隙、逃げ道を与えながら心の中を暴き、自供へ導いた。取調室は戦いの場、自分の城でもあった。被疑者を入室させ、しぐさを見て心境の変化があるかどうかなど細部にわたって観察する。しゃべりすぎる人は刑事として向かないと思う。被疑者しか知りえないことを言わせるテクニックとしては、重要なことを聞き流しながら、聞きだす。聞く立場を貫いていった。被疑者が「岡部さんになら話す」という気持ちにさせることが大切だ。

今の警察官。どうもサラリーマン化している気がする。刑事に引き上げたい優秀な若手がいても「刑事は3K。きつい、厳しい、汚い(孤独死、自殺体、列車轢死体すべて扱う)で休みがない」という理由で志願してくれないのも現状。制服の地域警察官は三交代で勤務当日宿直、翌日は勤務明けで帰宅、その翌日は指定休というサイクル。この仕事を希望する人が多い。OBとしては県民の視点にたって使命感に燃える刑事が一人でも多く育成されることを願っている。

川越署管内、被害が多い、自己防衛をしてほしい。特に振り込め詐欺被害、昨年2014年中は3億円以上、今年2015年1月から10月の間でも2億円以上という莫大な金額。留守番電話の活用などで、被害にあわないように。川越署生活安全課では相談窓口も設けているので利用してほしい。

最後に。百姓ひとすじの両親、この親が埼玉に出してくれたからこそ自分の四十年の警察官人生を全うすることができた。いくつになっても自分はその親を超えることはできない。今後は、住んで三十年の愛する川越のため、地域社会のため、川越市民のため自分の培った経験を捧げたい。家庭、学校、地域で、犯罪防止や防犯対策、ケースに応じて相談にのっていきたいと思っている。

今日は本当にありがとうございました。    岡部逸雄

このあと参加者全員からの質問に応えて、「男のゆうゆう塾」講演は終了した。

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名細公民館 男のゆうゆう塾で弊社取締役 岡部逸雄講演 2

白バイ・成田闘争警備・そして刑事へ。

川越警察署勤務から、白バイ隊員を志願。荒川河川敷で大きなバイクを使っての訓練。指導官がとても厳しく「下手な運転をすると死ぬぞ!」その指導官の大きな声が今でも印象的だ。サイレンを鳴らす緊急走行や取り締まりができる白バイ検定をパス。念願の白バイ隊員となった。身分は関東管区機動隊に所属。

昭和52年から54年は成田闘争警備にあたり、極左のデモ隊と競り合った。一番つらかったのは三日寝ずの警備。72時間通しというのは大変だった。その警備が終わり大人数の隊員で風呂にはいると若い警官の汗でお湯はドロドロに。それだけ過酷な現場であった。

関東管区機動隊は埼玉、群馬、新潟、栃木、神奈川、静岡、山梨、茨城、千葉の県警で成りたっており、他県の警察官と一緒に仕事ができたことは貴重な体験だった。

白バイ隊員として得たものは上下関係の厳しさ。先輩の白バイだけではなく、長靴、冬になると皮の上下の制服をピカピカに磨くことから教えられた。それでも先輩からの指導は「いじめ」ではない。最終的な責任は先輩が後輩の分まで持つ、面倒をみるといったことを日々学んでいった。

自分が担当したのは通称浦所バイパス、国道463号。アパッチというアメリカの原住民アパッチが砦から敵をみる言葉をもじった作戦で速度超過などの車を取り締まった。訓練で学んだ運転手の死角にはいり、厳しく違反車両を取り締まった。しかし、取り締まりをしていくなかで、違反者は過失が多いということにも気がついてきた。(違反したくてやっているのではない。ほんの気の緩みが大半)取り締まりも事故防止のためのもの。善良な市民との取り締まりを通じてのやりとりの中でいろいろな想いも錯綜した。(違反切符をきられても反抗的な人は本当にひと握りだった)。汗と泥と盾の成田闘争警備と小石の飛散と排ガスとの戦いの白バイ隊員から、次なる舞台の希望をきかれつ時期となった。交通機動隊で白バイ続行か、それとも機動捜査隊にはいって刑事の道か。思案のすえ、白バイは若い時だけ?歳を重ねてもできる「刑事」の道、機動捜査隊を希望した。

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弊社取締役 講演 刑事の人生 岡部逸雄 名細公民館で ①

 

地域で、新しい絆をつくるべく熱心な公民館活動をされている「男のゆうゆう塾」(斉藤誠代表)。この塾の12月19日講座の講師を弊社取締役 岡部逸雄が依頼され、約90分にわたる講演とその後の質疑応答で、自分の警察人生を語りつつ防犯や地域への思いが語られた。2015年をしめくくる記事として3回にわたってアップする。

1 警察官になるまで

本日、男のゆうゆう塾で講演できるご縁は、この代表斉藤誠さんが、妻が出版サポートした「川越100の顔」の取材で斉藤誠さんと出会ったことがきっかけ。「川越100の顔」は現在でも蔵造りのまちなみの中の太陽堂さんの店頭に並んでいますので、ぜひ、よろしくお願いします。(笑)

刑事を長くやっていきて、大勢の人の前で話すことはあまりなかった。取調室で「被疑者(犯人)を落とす!」ということを使命に生きてきたのでどれだけ今日うまくいくかわからない。(西入間署勤務のとき地域の中学校で「警察の仕事と使命感」と講演した、それ以来の出来事でちょっと緊張(汗))。

私の故郷は秋田県男鹿半島の先、バスケットと秋田杉で有名な能代市。農家の長男に生まれ、農業を継ぐつもりで地元の農業高校に進んだ。しかし、父から「将来農業で食べていくことは難しい。兼業農家であっても手に職を」と進言され、親戚の大工のもとで、修行。埼玉県飯能市で新設の幼稚園の建築で初仕事。しかし、自分に合っているかどうか逡巡。秋田に戻った時、自衛官や警察官として働いたらという母の知り合いからの勧めもあり、大工を断念。好きなバイクに乗れる「白バイ」いいな!という気持ちで警察官採用試験に挑戦。警視庁、神奈川県警、千葉県警、埼玉県警、という選択肢の中、飯能の緑や風景を思い出し埼玉県警の試験をうけた。秋田県立能代農業高校卒業、半年後のことだった。

採用試験にパス、警察学校で学んだあと初任地は川越署本川越交番だった。昭和50年10月、制服に身を包んだ地域警察官としてのスタート。当時の本川越の駅舎は木造。駅の周りにはケーキ屋さん、お茶屋さんなど。先輩と一緒に自転車に乗って、警らをして管内をぐるぐる巡回。静かな時代でもあった。

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ご飯マイラブ 

小さい頃から、ご飯が大好きでした。

玉子かけご飯。納豆ご飯。たらこと昆布のご飯。いくらご飯。

炭水化物は控えめにという時代にあってもご飯はやめられない。

新米の時期には心ワクワク。

もうすぐお正月。年越し蕎麦にお雑煮、おせち。ちょっとご飯と離れることが寂しいですが・・・

ご飯好きな人に、お米屋夫人から聞いた美味しいご飯の炊き方をお知らせします。

①釜にお米を入れます。②ミネラルウオーターをお米がかぶる分だけ入れます。20回とぎます。③とぎ水を捨て、水道水で10回とぎます④とぎ水を捨て水道水ですすぎます、とぐ必要はありません⑤すすいだ水が透明になれば、分量どおり水道水を入れて炊きます。

これは、最初のとぎ水のミネラルウオーターを入れることで、お米達が大切にされている感じをうけとめるそうです。私はずっと水道水でお米をとぎ、炊く水をミネラルウオーターにしていたので、これはまさに目から鱗でした。以来この方法を実行し、おいしいご飯を食べています。。ご飯マイラブ。

菅原 擁子




ネット社会について

レインボーネット川越。多くの方が閲覧をしてくださり、思わぬ反響にびっくりしたり、うれしかったり。情報が瞬時に伝わる時代を実感しています。

日々良質な情報や、街角から拾って更新し、皆さまにお伝えしています。

ネット社会は便利でもある反面、怖い部分もあって。。。

心していかなければならないと思います。

さて、コメントなど受け付けるブログもたくさんありますが、匿名なら大丈夫と思ってイイ気になっていると大きな火傷をすることもあるようです。どんな世界にもエキスパートがいて、探索することが可能とも。。聞きました。

ネット社会で生きていくルールをまもって、楽しんでいきましょう。

浅間 潤子

 

 




川越市議会は会期延長で閉会 1月に臨時議会

川越市議会12月定例議会は、空転の事態となり会期を25日まで延長した。そして、新学校給食センターについての議案は文教委員会に付託され、1月に採決のための臨時議会が開かれる。

川越市議会は議会の空転が恒常的になっており、四月の市議会議員選挙前は自治会連合会が傍聴に訪れるという形も顕著にみられていた。市議会のメンバーが変われば、円滑な議会運営が行われるかとも思われていたが、なかなか市民のための議会、正常化した市議会にならない。

多くの会派が存在する市議会。川合市長与党が多数をしめる川越市議会であるもののうまくいっていない。市議会は市政のチェック機能を果たさなければならないのは周知のこと。だからといって、チェックばかりが優位にたつのも???市政が間違った方向にいかないように、市政の舵をとる市長をうまくリードする水先案内人であるべきでもあると思う。いがみあうのではなく。主義主張はしっかりとしつつつ、市民生活をよりよいものにするために、市政の車輪を回していく。

そのためには、市長も議員も「大人の対応」で川越号重厚な車輪を回してほしいと痛感する。

川越市は歴史と伝統のまち、埼玉県初の市制施行都市。2020東京五輪ゴルフ競技開催地、今年は人口35万人突破、住みたい街ランキングで上位ランキング。この誇りを、市長、市議会議員、執行部に再認識してほしいと思う年の瀬である。




美術を身近に 坂戸 アートギャラリー月桂樹

坂戸駅南口から徒歩3分。外観からも「芸術の風」を感じることができる。

アートギャラリー月桂樹。今年2015年4月にオープンした。オーナーは森務氏。森氏は早稲田大学卒業後トヨタに入社、以後独立、鶴ヶ島、飯能、坂戸で「新生オートプラザグループ」を事業展開する実業家だ。美術学校をめざしていた夢を追いかけ商売の傍ら精力的に創作を続け、文部科学大臣賞など受賞は多数。

作風は力強く、「これは森先生の作品」とわかる独特な筆使いだ。

4月オープン以来、このギャラリーは地元を中心に多くの画家が利用着実に坂戸の「顔」になりつつある。

1月8日から2月2日までは「セレクト展」が開催される。30号からサムホールまで油彩、水彩画、作品の頒布も。

森氏はこのギャラリーの事業展開の根幹に「3・11復興支援」をおいた。作品、画集、ポスター、複製画、ポストカードの売上金などを南相馬市福祉協議会に支援金として送付。それもエンドレスで続行していくというから眞の篤志家だ。ライフワークの一つとして、森氏は鶴ヶ島ロータリークラブに所属。もちろん会長も経験したし、アジアなどからの留学生を支援する「米山記念奨学生プログラム」のカウンセラーとしても先頭にたって行動した。このようなベースあっての「アートギャラリー月桂樹」。いつも注目していたい。http://www.artist-mori-tsutomu.com/




三角問題

30年前になってしまうが、短大を卒業して一部上場損害保険会社に入社した。入社式のあと泊まり込み研修。当時は損害保険と生命保険がわかれており、今とは様相も違っていたが、バブル直前でなんか世間がざわざわと、しかも金融商品が人気でもあった。損保の初任給業界上位の会社でルンルンとしていたが、友人は証券会社のOLで、さらに良い報酬だった。

その研修では「女子社員としてのたしなみ」が繰り返し講義されていた。たまに会社のマナー研修の講師をつとめる現在だが、その時の講師の先生のくちぶりがフラッシュバックされることも多い。尊敬語と謙譲語。お茶托の使い方など。お茶托の模様を相手に刺すようではおもてなしは大失敗。という言葉はいつでも思い出す。しかし、残念なことに今まで会社の打ち合わせなどで正しい出し方をされている女性は少ない。

さて、過日テレビで「トイレでペーパーを三角に折る?否?」と放映されていた。もちろん、YESである。やはりトイレは気持ちよく使いたい。掃除が行き届いているホテルを見習いたい。そして、用を足したあとには次に使う方のために「三角」は必須。さらに汚れなどもチェックしたい。ある時、モデルのようなスタイリッシュな女性のあとを使用したときペーパーがだらりと大きく下がっていた。。悲しかった。

東京五輪まで4年になる2016年。こんな小さいことから、「おもてなし力」をアップさせたい。                          伊勢谷 珠子




冬のスーパームーン

新しい年までカウントダウン。やることたくさん。そんな昨夜、東の空にパワーをもらえる月を発見しました。オレンジ色に輝く月。今日27日は十五夜。さらにバージョンアップしたスーパームーンが見られるかもしれません。

我が家の一室には月の満ち欠け、ルナカレンダーがかかっている。月の神秘、自然の偉大さ。そして、日本語でいう「ツキ」にもつながるということもあり、大事にしている。

年末のきぜわしい時だからこそ、眺めてほしい、宵の東の空だ。




クリスマスDAYSは川越で

今日23日をイブイブ、24日をイブ、25日をクリスマスと言い抜いていた一昔前。
今の若い世代はどうなのだろう。

華やかなイルミネーションが町を飾るこの季節。すべての世代が心わきだつ。各地で宵から夜にかけて光の競演が繰り広げられる。すでに蔵造りのまちなみ、一番街では大学生による光のオブジェが点在。

日中だけではなく、夜も川越を楽しんでほしいという市民の願いを反映するように、道行く観光客の目をひいている。

写真はまるひろ平面駐車場に設置された光の馬車。おもわず足をとめるファンタジーな空間だ。

クリスマスDAYS、川越を楽しみましょう。