良い師、良い仲間、あってこそ。広く心と目を開こう。 梶田教授講演

受賞後初めてのお国入り(ふるさと東松山凱旋)となった梶田隆章教授。梶田教授講演の整理券は配布15分で完了となったという。街をあげて、市民総出での祝意の表れだ。「東松山元気創造計画」を標榜する森田光一市長、その元気創造計画第2章の中でのノーベル賞輩出市となったことで森田スマイル全開。同じ埼玉大学出身でもあり「東松山はじまって以来のこと。まさに千載一遇のチャンス。そしてこの時間を共有できることが本当にすばらしい。梶田教授に続けということでさらに教育にももっと光をあてていきたい」と森田市長は語っている。

梶田教授はパワーポイントを駆使しての講演となった。お馴染みの風景であるが、こんなにもわかりやすく、スピードもゆるやかなパワーポイントを見たことがない。そのことは会場内で話を伺った川越高校卒業生が「頭のいい人はおもいやりのある人。あんなに難しいことを我々にわかりやすく話した。難しいことをそのまま伝えることはできる。かみくだいての講演。本当に感動した。」というコメントにもあらわれている。

梶田先生講演要旨

現在の身長は183センチあるが40年前はおチビだった。小、中学校の時には理科、科学に興味を持っていた。中学生時代、具体的に将来設計をしなくても、自分の将来をきめなくてもいいと思う。興味を持ち適正を発揮、将来にいろんな可能性を持つための勉強をしてほしい。特に自然や宇宙に興味を持ってほしい(笑)。高校、大学と弓をひいていた。漠然と物理学や天文学に目が向いていたが、勉強不足は否めなった。猛烈に勉強したのが大学院受験の時。物理学を本気で学びたい、研究にチャレンジしたいという気持ちで埼玉大学弓道部主将を辞退。これは人生の重要な決断だった。そして東京大学大学院へ。物理学者の夢である「素粒子の大統一理論」にむけての研究がスタートする。「カミオカンデ」は素晴らしい成果をあげ、つづいて「スーパーカミオカンデ」に取り組んでいく。大学院ではノーベル賞受賞者小糸先生と出会う。いい先生、いい仲間たちと様々なことを吸収することが重要。29歳の頃、データから「気づく」ことで、さらに研究が進んだ。疑問について考える、「気づく」。この作業が大切。これがのちにスーパーカミオカンデによる素粒子ニュートリノの観測、ニュートリノに質量があることを証明することとなる。良い師、良い仲間から良い研究プロジェクトが生まれた。人生のいつ、人生を決めるような出会いがあるかわからない。広く目と心を開いて大切なものに出会う準備をしてほしい。その準備が勉強。科学の世界は面白いので、ぜひ、研究者をめざしてほしい。

「ニュートリノは極小の素粒子の世界と極大の宇宙を結ぶ掛け橋・梶田隆章」

講演の最後には梶田教授の母校、野本小学校児童による作文朗読、花束と全校児童による寄せ書き、ノーベル賞受賞時の取材をうけた児童の写真、校長からのメッセージなどの特製アルバムが梶田教授に贈呈された。

森田光一市長はかつて東松山市教育委員を務めた経験もあり、その目線はいつも未来を担う子供達。梶田教授ノーベル賞を大きなチャンスととらえ、「ノーベル賞のふるさと東松山」創造にむけてスタートをきった「梶田凱旋デ―」でもある。

伊勢谷珠子