365日復興を祈る peace やまぶき

あの日から7年。川越ではpeaceやまぶきに寄る福島復興まつりがウエスタ川越で7回目を数えた。

入場チケットは30分で完売の盛況ぶり。出店件数当初は6店舗が5倍増に。売り上げ金の一部を福島の障がい者施設に6年間送り続けてきた。

「少額でも送り続けていくことが大切。手作り品をバザールに出す人はこの日のために1年間作製されてます。それは復興を365日祈っているということでもあります。震災を風化させない、その強い気持ちでわたしたちは頑張っています。」と語るのはスタッフの山口陽子さん。

復興まつりではこの他日色ともゑさんのトークショーも。またウエスタ川越ではこの日、川越マルシェも開かれ、相乗効果を生み出すイベントとなった。




震災を忘れない あなたは何を?

未曾有の大災害となった東日本大震災から6年。

春まだ浅き風の冷たい中で「あの日」を思った。

お彼岸前のお墓掃除をするために入間市を通過。昨日は市議選挙の最終日だった。3月11日、14時46分。宣伝カーをとめて、候補者、揃いのジャンパーを着た候補者を応援する人、が頭をたれていた。

「常に心を寄せる姿」。有権者ではないが、その真摯な姿に胸を打たれた。昨年は東北であの日を迎えた。大きなサイレンが鳴り、すべての人が動きを止め太平洋側を向いて「黙とう」していた。

日本人の美しい心。今年は政治に取り組む人から感じた。どこかの街の議場で眠る議員がいると聞いたここ数日、「入間の未来は明るい」と入間市民をうらやんだ。




あの日を忘れない

所用で秋田に滞在。
昨日3月11日、14時40分すぎ、スーパーの駐車場で地域の有線放送からのアナウンスを聞いた。

東日本大震災で被害にあわれた方に哀悼を意を表し
黙祷を捧げる準備をしようという内容だった。

スローモーションの映像のごとく、国道に車を停める人。帽子をとる高齢の老夫婦。

14時46分の時報とともに長いサイレンの音。

東北の空のもと黙祷をすることに、ある種の厳粛な気持ちを抱いた。

仮設住宅で不自由な思いをする人々。行方不明の親族に涙を流す人々。
復興は国をあげて取り組むべき最優先課題。
お香典問題で陳謝した高木復興大臣。「何があっても職責を全うする」と発言されていたが、この時期、メデイア露出が少ない気もする。バリバリ働き、復興を前進させていくことこそ、高木大臣の職責の全うであろう。
東北復興を願うと共に、高木大臣の復興旗振りに注目したい。




東日本大震災に心を寄せる 2016

あの日のことは、今でも鮮明だ。会社スタッフ13名をつれて池袋で講習中。会場カラオケボックス店長から、会計なしで、退出くださいと。西池袋公園にはすごい人。駅から東武デパートから押し寄せる人の波。スタッフつれてホテルメトロポリタンの部屋を借りようとしたが、幸運にも一階レストランの席に案内された。暖房はオフになったがホテルからの毛布と飲み物の提供。西武線が動いたものの、川越からの迎えの車をひたすら待った。
未明の254号を歩く人々。車のラジオからは未曾有の被害が。

そして、計画停電。ガソリン不足、スタンド渋滞。食品流通の乱れ。
当時、認知症初期であった母も、計画停電には「東北の人のこと考えたら当たり前。こういう時は布団にはいって体を休める時間にすればいいのよ」と話していた。

友人のなかには、現地で炊きだし支援、ヘドロの掻き出し支援で定期的に訪問している人が数名いた。頭が下がった。

自分は?いくばくかの寄付もした。義援金を募るコンサートの手伝い。
東北で消費することが地域経済を助けることかと、岩手、福島、仙台へでかけた。

当時の国際ロータリー第2570地区ガバナー西川武重郎さん(故人)は「寄付をすることは誰しもが色々な形でできること。この地震を風化させないことが肝要。いつまでも心を寄せること、それが大事。」と熱くPRして「ロータリー希望の風」という基金を創設。震災で被害にあった子供たちの学費支援を大学卒業時までという活動は今でもつづいている。素晴らしいことだ。

何気なく日々を過ごす。笑ったり怒ったり。そういう日常の中で、決して私たちは3月11日を忘れてはならない。被害にあわれたすべての人々に心を寄せること。どんなかたちであれ、自分にできる何かを、肝に銘じていきたい。