川越まつりのイイ話

 

昨日19日、20日と川越まつりだ。

厳粛な神幸祭、豪華絢爛な山車、伝統芸の囃子と舞。そして川越グルメからおまつり屋台のフードフェスも魅力。

台風19号は川越市を流れる河川にも猛威をふるい、被災された市民もいるなか、川越まつり挙行はいろんな意見があったときく。「氷川神社はおまつりを挙行し、水の神様だから、よくお祈りをすることも大事」という意見もあった。そして、川越っ子は「川越まつり」を糧につらいことも苦しいことも悲しいことも乗り越え、自分のパワーの源としてきた。「川越まつりで被災者を元気に」を合言葉として、山車を曳行する町内も、山車を彩る鳶職方、囃子連もお祭りを盛り上げていく。

新富町本川越そばの料亭福登美さん(坂口孝社長)では駐車場を開放してボランテイア有志が「もちもち焼きそば」を販売。熊本地震の折にもこの方々は出向き、避難住居へふるまったという鉄壁ボランテイア。今回の収益は台風19号川越市の被災者への支援にするとのこと。

職業をもちながらのボランテイア魂に頭が下がるが、駐車場を開放する福登美さんの心意気も粋だ。

写真はそのもちもち焼きそば。今日20日も売れ切れごめんで販売するという。ぜひ、被災者支援に福登美さん駐車場で焼きそば購入を!




今年の学びは 「彫刻師」 倭国曳山行事祭り文化研究会 

全国の曳山研究を重ねる倭国曳山行事祭り文化研究会(小坂部雅利代表)が今年も川越ホテル三光で講演会を開催した。

「野本民之助義明と同世代の彫刻師の活躍」をテーマに相原悦夫さん(八王子市文化財保護審議会会長)を講師に迎えた。

川越の社寺建築彫刻は江戸時代、江戸の島村源蔵、熊谷の飯田岩次郎などがさきがけ。野本民之助義明は大正期、川越に住み、「野本時代」とよばれるひと時代を築き「川越の彫刻」を不動の地位確立に尽力した。野本氏の作品は幸町の山車などでみることができる。野本氏は喜多院の「五百羅漢」をヒントに老齢な人物を彫ったとも。野本の実の孫である小坂部代表。脈々とつながる江戸文化を感じながらユネスコ世界文化遺産「川越氷川祭の山車行事」を楽しみたい。

 

 




国語力を磨こう

草加で痛ましい交通事故が起きた。お子様をかばった母親が亡くなってしまった。父親である人が「運命と思っても・・」と声をつまらせた。 この「運命」。どう読むか。「さだめ」だ。しかし、テレビのテロップは「定め」と流していた。「さだめ」を漢字変換すると「運命」とは出てこない。漢字変換に頼る国語力低下そのもの。

以前に当時の総理、麻生太郎氏が「未曾有」を読めなかったということで論議された。今回も安倍氏の「云々」の読み方が指摘されている。これらはおそらく原稿の下読みが完璧ではないことから起きるケアレスミス。しかし、一国の首相なのだから、緊張感をもって答弁にたってほしい。稲田防衛大臣、金田法務大臣の「言葉」に対する慎重さが足らないことから、安倍内閣への不信に、支持率低下を招くかもしれない。

「川越氷川祭の山車行事」がユネスコ無形文化遺産になったのは昨年晩秋のこと。全国各地の「山、鉾、屋台行事」にプラスされての形で。それを簡単に「川越まつり」がユネスコ無形文化遺産となったと放送で、文章で書かれることに生粋の川越市民、川越の歴史を熟知している人、川越氷川祭の真髄を知る人は嫌な気持ちを持つという。

ネット社会から自らが、いとも簡単に発信者になれる世相となった。きちんとした国語力のない(積み重ねた訓練、幼少期からの読書習慣、常日頃の自己研鑽ができてない)発信者のメッキはすぐにはがれるし、その行間に知識のなさがにじみ出てしまうことはいたしかたない。




まだまだチャンスあり 市立博物館など無料公開 川越

「川越氷川祭の山車行事」がユネスコ無形文化財登録決定を祝し、17日には幸町、志多町、宮下町、野田五町の5台の山車が蔵造りのまちなみを曳行。ユネスコ景気は川越に活力を与えている。

24日までは川越市美術館が無料公開。28日まで川越市立博物館、川越城本丸御殿、旧山崎別邸が無料公開される。

川越まつりの幕引きとともに川越はお正月準備にはいる。しかし、今回の特別曳行は冬場の曳行で、中には風邪をひいてしまった曳き手もいる。10月中旬と12月中旬では底冷えが違う。しかし、粋な曳き手は寒さにも耐えて祭装束を整えたのだ。粋とは風邪も肺炎もおそれてはならないのだ。




地域の力でガードレール整備 川越・宮下町

ガードレール整備というとガードレールのない道にガードレールを設置したというのが一般的。しかしながらそれではニュース性はない。 今回の話は氷川神社前のガードレールの話。整備されたガードレールだが、だいぶ道路のほうに膨らんでいた。日に日に増える観光客、なかでも氷川神社は夏の八坂祭に夏越大祓、縁結び風鈴、秋の川越氷川祭の山車行事、そして季節を問わずに良縁を求めるパワースポットとして多くの人がお参りをする、その増加は著しいもの。整備した県は数の多い歩行者を考えての道路へ膨らみだったかもしれない。 しかし、地域の自治会、住民からは道路に膨らみすぎてかえって、子供たちの通学道路として危険、バス乗客の乗降に支障がある、また、川越氷川祭の山車行事の「山車曳行」にガードレールがふれてしまうのではないかなどの問題点があげられていた。 地域有志は地元選出の中野英幸県議に相談。できれば「国指定重要無形民俗文化財・川越氷川祭の山車行事」前にガードレールの付け替えをしてほしいと陳情。このたびその陳情が実り、ガードレールの膨らみは改善された。写真手間のグレーの〇が元の位置。住民の立場で、子供たちの目線で、文化の継承のために何が一番最善か?こういう「気づきの目線」がまちのパワーとなる。地域有志の人々の感性には頭がさがる。




川越まつり ここが見どころ

370年という月日、伝統をまもりつづけてきた「川越氷川祭の山車行事」。当時の川越藩主松平信綱が氷川神社に獅子頭、神輿などを寄進したことにはじまるまつり。

祭りの見どころを紹介する。

15日 1日目

神幸祭 氷川の神様が神輿に乗られて町を巡行。警護は氷川神社の山田宮司が馬に乗って。氏子総代はじめ氏子が正装して行列に加わり、山車も続く。神様が川越安寧を祈りつつ、お力をふりまく。(13時氷川神社出御 裁判所前通過 喜多町を経て札ノ辻から蔵造りのまちなみを通って仲町交差点を左折、川越キリスト教会を左折、市役所には14時、14時半に神社還御)

市役所前の山車ぞろい

14時から15時に市役所前に山車が勢ぞろい。今年は秋天一碧のもと、各町内の山車と囃子連の演技は見ごたえあり。

宵山の山車揃い

18時から 市内各所で提灯がともった山車、居囃子をゆっくりと鑑賞。囃子は主に王蔵流、芝金杉流、堤崎流、微妙な違いも。

曳っかわせ

19時から21時まで 札ノ辻、仲町、連雀町、本川越の交差点で囃子の競演。提灯乱舞のまつりのクライマックス。

16日 2日目

市役所前の山車巡行

13時半から15時頃

市役所前で山車が巡行。入れ替わりたちかわり。

曳っかわせ

18時半から21時まで 昨日同様各交差点で。山車の回り舞台がぐるりと、出会った山車と囃子を競う。曳き方である提灯をもった人々が入り乱れる、まつりの最高潮。囃子とともに踊るのは天狐、おかめ、狸など。それぞれのテクニックに注目。

仕舞囃子

市内各所で、山車がおまつりの幕を引く。仕舞囃子によって、川越まつりは来年を目指す。まつりの終わりとともに川越は晩秋から年越しの準備がはじまる。

 

 

 

 




小江戸飛雁会 再起動 氷川神社山田宮司講師に学習会

川越市内には各企業の支店、支社が存在し、そのトップは二年、三年たつと次の赴任地へ飛び立つ。トップを川越の市の鳥「雁」になぞらえ命名された「飛雁会」。代表幹事は共和木材の馬場弘社長。

「縁あって川越に赴任してきた企業戦士とともに川越について学び、川越のおいしいものを食べ、おいしいお酒を飲むという気持ちで過去2か月から3か月に一回開催し、50回くらいの勉強会を重ねてきた。卒業証書を出したこともある。現在時の鐘の修復、松平五代にわたる墓の修復、市内の存在する前方後円墳の逆の形(後方前円墳?)の保持から国指定文化財への登録推進など市内の文化財を一つずつ学ぶことも大切かと。このように多くの文化財が息づく川越市。これは天災に合わない地盤の強さ、住んでいる人の経済力と行政支援のたまもの。飛雁会のみなさんには川越のいい面をたくさん知って、川越ファンになっていただき、個人的な川越親善大使になって全国各地に飛び立ってほしい」と馬場代表幹事から挨拶があった。

山田禎久氷川神社宮司 講演

涼しい風に乗ってお囃子の練習の音が聞こえてくると川越っ子の心ははやる。町中に紅白の幕が張られお祭りの準備が始まる。数日間貼られる紅白の幕は「軒端ぞろえ」「軒ぞろい」と言われ古い書物には「マチゾロエ」と記されているものもある。

「まつり」の語源は①待つ(神様を待ち受けてごちそうを差し上げ今後の安寧をお願いする)②奉る③昔はほとんどの家庭が農業。そしてお祭りの時だけお寺や神社の門前に市が立つ。「市」とは賑わいを表すもので「市」はマチ。と考えられる。祭りの時はお休みで、神様へごちそうを供え、そのごちそうをいただくこともできる。祭りとはレジャーでもあった。神様と人、人と人がふれあう場が祭だった。

川越まつりは最大のイベントという言い回しはふさわしくない。「祭り」と「イベント」は真逆。「イベント」は毎回工夫しないと陳腐化しあきられてしまう。「まつり」は100年前も100年後も同じことの繰り返し。このがんこなことがまつりの意義を高めていく。

日本人は風、石、草木、海、川にも神が宿るとし人間の力が及ばないものとして手を合わせる、それが宗教心、精神文化となってきた。山、森、川、海から自然の恵みを得て、恵みに感謝しつつ、一方で津波、洪水、大雨といった自然災害を畏れた。また農耕民族と狩猟民族は根本が違う。狩猟民族は狩りの出来不出来が差となる。農業の中心は稲作であり、豊作も凶作も共同体として受け止めなければならない。自分だけ、個人だけがいいということはなく、個人が豊かなことは地域も豊かであるということ。

長瀞にある宝登山神社の宮司は「宝物は田からなるもの、稲ではないか。稲の生育は人の工夫や努力だけではなく、おひさまが降り注ぎ、水がうるおいを与え、風が吹き、人間の力を超えたところにある」と教えてくれた。人間は成功は自分の努力と能力があってと思いがちだが、自分だけの力だけでは成功できないもの。

おまつりは個人的なものではく、個を超えた公の祈りの場。春まつり、夏まつり、秋まつりそれぞれに精神的な裏付けがあり、いつの時代になってもかわらないものがおまつり。

武蔵の国に集中する氷川神社、その数280。荒川ぞいに点在することから荒れる川を鎮めることからか?川越氷川神社には5つの柱(柱は神様のこと)が祀られている。二組の夫婦と出雲大社の縁結びの神、大己貴命が祀られていること、この神々が家族であることから縁結び、夫婦円満、家庭円満と崇敬されている。氷川神社が創建された日を再現するのが川越まつり。氷川神社が創建された日、誕生日を祝う意味ではない。旧暦の9月15日、奇しくも関ケ原の戦いで徳川が勝った日でもある。神幸祭は川越まつりの起源。私は馬の乗り神様を警護する、神幸行列の後ろには山車が並ぶ。神様がまちにお力をふりまく日である。

新たな技術や科学の発達。その発達に追いつくことで安心を得ようとしている向きがあるがそれが真の安心なのか?何年たってもかわらないものをよりどころとすることも大切なのではないか。中島みゆきの「糸」という唄から考えると縦の糸は先祖から子孫へつながる川越の歴史、横の糸は今を生きる川越の街の結束、その交差点がまつりではないか。この縦の糸、横の糸が織りなす布が川越を守っていくことを信じ、氷川祭の根本的な歴史を語るおまつりを継続維持していきたい。