新しい観光スポット 小江戸蔵里にききざけ処

先週オープンした小江戸蔵里昭和蔵 「ききざけ処」。

この蔵里は鏡山酒造跡地を活用した観光スポット。

入口から明治蔵・大正蔵・昭和蔵と続く。その名の通り明治・大正・昭和とその時代時代に酒が造られた蔵を使用。明治蔵ではおみやげの販売が、大正蔵では食事と月に二回伝統和芸が鑑賞などそれぞれの役割を果たしてきた。

今回の昭和蔵リニューアル。埼玉県内には35の酒蔵があり、その酒蔵のお酒を集約し味くらべができるというもの。500円でコインを4枚買って、本邦初の酒自動販売機に向かう。日本酒ズラリの中でおちょこを機械に入れてコイン1枚投入。1枚でおちょこ一杯。簡単なおつまみもコイン対応。遊び心と利便性。なかなかユニークな発想だ。

店内には味噌、醤油、ドレッシング。おかき、川越唐桟小物。このほか日本酒由来の化粧品など珍しいおみやげが並ぶ。ご家族で、カップルで楽しめるスポットでもある。この昭和蔵で飲み足らない人、小腹がすいた人には大正蔵の八州亭の扉をあけてみるのはどうだろう。

運営するまちづくり川越の大久保敏三社長は「ここに来たら天井を見上げてほしい。天井にわたる大きな梁。時の流れを感じさせる雰囲気も一つの酒の肴です。」と笑顔で語った。

 




財務省による財務省のための???

財務省決裁文書の書き換え問題。驚愕と残念な気持ちでいっぱいだ。

昨日の参議院予算委員会。自民党の西田参議院議員の質問。声高々に「これは財務省による財務省のための情報操作なんだよ」と叫んだ風景にはもっと落胆した。さらに西田議員は「総理も昭恵夫人も被害をこうむった」まで言い切ったのである。???昭恵夫人の関与の有無はともかく、実際昭恵夫人はあの学校に何度も足を運び、問題の小学校の名誉校長まで務めたのだ、まったく関係がないとは言い切れない。また昭恵夫人はこんなさなか、「野党のバカげた質問」などの表記があるコメントにFacebook「いいね!」ボタンを押しているのだ。総理夫人としての自覚がなくこれも国民を落胆させているはずだ。

財務省が書き換えをしなければならない事情。一人の担当者が自死までしなければならなかった事情。この闇の中には深い深い事情があるはずだ。財務省だけを声を荒げて追及することなのか?

政治の混乱ばかりの民主党政権。それから自民党政権に戻り、経済に明るい兆しも見えてきた。そこでこの事件だ。なぜ財務省が隠蔽、改ざんをしなければならなかったのか、真相究明が大切だ。だからこそ、正義をふりかざすには国民が納得する説明と証明をしなければならない。関係各位には国民、有権者は鋭い目で賢く推移をみていることを肝に銘じて、この事件に立ち向かってほしいものだ。

 




川越初雁公園プールに変化か?市民

川越市初雁公園プール。供用開始は昭和26年。いかに川越市が時代に先駆けて市民福祉の向上のために走っていたかがわかる。川越水上公園は昭和63年開園。もうそんな時間がたってしまったという感が強い。

川越水上公園開園前は年間5万人の市民が利用した初雁公園プール。開園後その数は50%以下の2万人に。なぐわし公園温水利用型健康運動施設(ピコア)などの充実もあり、現状の利用者数は1万人ほどに。

そこで、川越市では「6月最終土曜日にプール開きをしているが、その時期は梅雨の時期と重なり雨天の日も多い。近隣市の公営プールも6月中にプール開きをしているところはない。効率的な運営を実施するため運営方法を変更し、現状の6月最終土曜日のプール開きを7月第二土曜日に変更したい」という。

川越市は、運営に市民の意見を反映できるよう今回、「初雁公園水泳プールの供用期間の変更(案)」に対する意見を募集する。

意見を出せる人は(1)市内に住所を有する(2)市内事業所などに勤務する(3)市内学校に在学している(4)その他案に関して利害関係を有するなどの条件がある。詳しくは川越市ホームページから、初雁公園水泳プールの供用期間の変更(案)に関する意見募集を検索。

さて、市民だれもが公平に使える公共施設。地球温暖化にともない酷暑列島の日々が毎夏巡ってくる。市民のためを思うなら従前通りがよいのではないか。節電で涼むにはプールが一番と思っている子育て家庭にとっても。

 




名細友遊まつり今年も盛大に。

今年も川越名細地区で第17回「なぐわし友遊まつり」が賑やかに開催された。

「男のゆうゆう塾 (斎藤誠代表)一年間の集大成」と名細地区子供サポート委員会共催のこのイベント。

例年、世代間交流の場にもなるこのおまつりは地区の目玉でもある。

定年からの充実した時間を生み出すためのヒントを紡ぐ「男のゆうゆう塾」。公民館の公開講座として開設され今年で20年目。なぐわし友遊まつりでは講座の年間の記録が公開され、地域デビューするゴールデンエイジには「男のゆうゆう塾」は年々存在感が増している。




365日復興を祈る peace やまぶき

あの日から7年。川越ではpeaceやまぶきに寄る福島復興まつりがウエスタ川越で7回目を数えた。

入場チケットは30分で完売の盛況ぶり。出店件数当初は6店舗が5倍増に。売り上げ金の一部を福島の障がい者施設に6年間送り続けてきた。

「少額でも送り続けていくことが大切。手作り品をバザールに出す人はこの日のために1年間作製されてます。それは復興を365日祈っているということでもあります。震災を風化させない、その強い気持ちでわたしたちは頑張っています。」と語るのはスタッフの山口陽子さん。

復興まつりではこの他日色ともゑさんのトークショーも。またウエスタ川越ではこの日、川越マルシェも開かれ、相乗効果を生み出すイベントとなった。




本日8日 14歳男子 行方不明 川越笠幡

本日8日、午後0時20分頃川越笠幡地内から 男子14歳が行方不明になっている。

特徴は身長150センチ 体格中肉。髪は短め黒。

灰色パーカー、紺色デニム、靴は黒。オレンジ色の自転車。

みかけた方は

川越警察署まで。049-224-0110




道を創る。道を拓く。高畑市長の挑戦は続く。

高畑博市長の新春の集いが今年も盛大に開催された。

党派を超えた国会議員の参加。選挙区を超えた自民党7奉行の一人、自民党組織運動本部長山口泰明氏の列席など、日々、市民のしあわせのためには県へ国へとしっかりとしたネットワークをひろげることを信条とする高畑博市長の政治姿勢の成果だ。

高畑市長は挨拶のなかで「尊敬する西部邁先生が本当の保守とは改革派。といったことを胸に本当の意味での改革をすすめてきた。市政改革は、法の限界、制度の限界が壁となったが、職員が素晴らしくよくついてきてくれた」と語った。「真のリーダーは一人のチカラでは何も為すことはできない」ということを高畑市長はカラダで、心で、わかっているのだ。

高畑博後援会会長も挨拶でシンクロナイズドスイミングの井村監督の名言を引用。「三流の人は道を追う、二流の人は道を選ぶ、一流を道を創る。まさに高畑市長こそ、さまざまな道を創った、道すじをつけた」と。

林真理子の大河ドラマ「西郷どん」が面白い。「西郷どん」にまつわるある対談で林真理子は「権力を持つと反対勢力も現れるし、権力にしがみついたりブラックな面も出てくる」と話している。言い得て妙だ。林論からしても、市長とポジションはたくさんの権力を持つ。市長の座につき、権力を振り回してしまった結果、こんなはずではなかったと後援会を立ち上げたときの支援者が離れてしまうケースもあるだろう。

高畑市長を支える人々はずっと変わらず、さらにネットワークを拡げている。まっすぐに、ひるまず、道を拓く。高畑市長の魅力の一つであることは間違いない。

 

 

 




仕事も。趣味も。人生も。美しく。

埼玉一美会の書道展が大宮で開催された。春らしい気分に誘われて大宮氷川参道を歩く。「氷川の杜文化館」銅葺きの屋根から伸びる散策路。なんとも風情がある会場だ。

埼玉一美会は長年にわたって治安維持に活躍し、退職した警察職員とその家族、現在活躍している警察職員とその家族、またその友人知人で構成されている。

「書」を愛し、精進し、心技の向上と人格形成をつらぬく人々の作品は躍動感にあふれている。書は達筆であるかどうかと同時にリズムと、空白の美しさも競われる。氷川の杜文化館に展示されている作品は、県民の安心安全のため、私を捨てて真摯に仕事に向き合った人らしく、しっかりとした精神統一が根底に見られた。「一美」とは、一生涯美術(書)を愛し同志と融和親睦、充実した人生であるようにという願いをこめてとのこと。

春らしい光のなかで清々しい気持ちを味わえたひとときだった。

写真は会長の南佳邦さんと作品。

 

 




福島復興を川越から 3月11日 ウエスタ川越

あの日、3月11日がまた巡ってくる。

ウエスタ川越を会場にNPO法人Peaceやまぶき主催による「第7回福島復興まつり」が開催される。

日色ともゑさんのお話、たかはしべんさんの歌。バザール出店は30を超える。

松尾代表(peaceやまぶき)は「2011年3月11日東日本大震災 福島第一原発事故発生以来、現地の方の不安、苦しみは解消されているのか?年々情報も減って、関心が薄まってしまってはいないか?この川越から今年も災害を忘れない、福島を忘れないという思いをいっぱい届けたい」と語る。

あの日から7年。あの時の冬から春へと向かう風の匂いは今年も変わらず、毎年変わらず。だからこそ、東北に心を寄せていかねばならない。これは今を生きる私たちの責任でもある。自分にできる何かで、東北を応援していきたい。




さる年の梅

梅の香りがまちを流れている。

川越仙波町には白梅が枝がひろげている家、蝋梅がなんとも甘い香りを放つ家が点在している。白梅を見ると心は高校時代に戻り、母が合格祈願に何年も前から湯島天神にお参りをしてくれ、「湯島の白梅、いいわね。風情があって。お母さんこれから毎月月参りをするから、きっと希望の学校にはいれるわ」と言っていた姿が思い出される。そして夏の日差しの中の学校見学、合格発表の時、車窓にひろがる梅の花をみながら母とドキドキしたことが一連の流れでフラッシュバックする。蝋梅の想い出は宝登山に祖母と母と登って、母手作りの巻きずしを食べたこと。かんぴょうの味付けで祖母と母が言い争いをしていたのがなんとものどかだ。

母と祖母は梅干しや梅酒を漬けるため、梅を求めて越生と青梅によくでかけた。リウマチで身体が不自由になった祖母の教えでそれらはすすめられていた。祖母は申年生まれ。「平安時代の天皇が、梅干しで疫病から民を救った。それが申年。だから申年の梅は健康で長生きできる縁起物。」という言い伝えを大変大切にしていた。自分の干支の年の梅干し作りはなおさら念がいっていた気がする。「さる年の梅」は12年に一度しかまわってこない。でも二年前に漬けた梅が「さる年の梅」ではないか?

健康に「さる年の梅」ではなくても「梅干し」を食べよう。