地場のクラフトビール。またまた快挙 コエドビール。


川越名物、川越みやげとして着実に浸透しているコエドビール。(協同商事・ビール事業部 コエドブルワリー朝霧重治社長)。漆黒、白、瑠璃、伽羅、紅赤の五種類。その漆黒がビールの本場ドイツで行われたコンテストで金賞を受賞。

年々改良されている成果が見える形になったもの。思い起こせば90年代後半、川越山田に「ブルワリーができたよ。」と友人と飲みにでかけた。繊細な味の違いがあって楽しかった。しかし、女子供ではない大人の男、「ビール通」にいわせると「切れ味がな・・・」という声も。その後、ドイツの大使館、航空会社のファーストクラスなどで採用されるなど快進撃がつづいている。

「川越みやげ、お菓子は母が喜ぶのですが、父がお菓子は??というので。」という知り合いに「コエドビール」をすすめたところ、「父大喜びでしたよ」と報告をうけた。

今店頭に並ぶ5種類。

「漆黒」 黒ビール、カマンベールチーズとブラックペッパーとごくり。大人の味。

「伽羅」ホップが個性を出す。黒ビールとラガービールの中間。エビフライやチキンとごくり。

「白」しろ。休日の昼下がり、サンドイッチと午後のお茶のならぬ午後のビールごくり。

「瑠璃」テーブルビールと位置づけ、デイリーにごくり。どんなお料理にでもごくり。

「紅赤」武州小江戸川越産金時さつまいも使用。色も赤みががっている。蔵造りのまちなみの中でごくり。

ビール好き、個人的な楽しみ方をお伝えした。

浅間潤子

 

 




小江戸川越 ひな人形に会いに


蔵造りのまちなみ・札の辻手前・蘭山美術館。四月三日(日)まで「蘭山ゆかりの雛人形と源氏物語画帖」展が開催されている。(休館日 水曜日、第1.3木曜日)。

ひな人形。女の子が生まれると、成長を願って初節句に準備される。このたびの展示は3点。両脇は舩津的美館長のお母様の持ち物。「1922年初節句なので94年たちます」と舩津館長。色あせることのないおひな様。細心の手入れのたまもの。

そして、真ん中に坐する「古今雛」。「ふたの裏に天保八年とあります。これは舩津蘭山夫人のものです。このおひな様は小江戸栃木・蔵の街美術館にも展示されました。奢侈禁止令が幕府から発令されており、金の使用は不可で身の丈も八寸以下。この条件に合致しています。天子南面に座す。天皇は南を向いて座り、左大臣が上位とされた。その通り、向かって右がお内裏様、向かって左がおひな様。その通りの並びです。」と館長の説明をうけた。

蔵の街美術館展示の折の資料も拝見。「雛市でにぎわう江戸十軒店で購入されたものか・・(十軒店・江戸時代のはじめ雛人形を売る店が十軒あったことからこの名前が。江戸時代中期以降は三月五月の節句には市が立った場所は現在の日本橋室町3丁目界隈。)箱の中には五千四百五十疋ととも」とある。

舩津館長に「この五千四百五十疋は今の値段にすると?」と伺うと「それは野暮な質問ですよ」とやんわり。

川越藩御用絵師と旧岸村の名主を兼ねた家系の舩津家。江戸の粋は脈々とつづいている。

伊勢谷 珠子

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今日は猫の日


2月22日。にゃんにゃんデー。猫好きにとってはお祭り。

「虎のごと猫の立ち去る枯野かな」大木明子。先日読売新聞でみつけた俳句だ。猫ちゃんと生活しているものは、猫ちゃんの「野生」に帰る瞬間を知っている。読売では「立ち去る」という言葉を使っているところに、サムライのようにかっこいいではないか。とのコメント。

「猫」はいずれにしても絵になる。亡くなった祖母は「梅の木と猫。会うわね。」とよく言っていた。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言い伝えを払しょくするような暖かい日がある。先週は東北に滞在していた。白神山地に稲妻が走り「春雷」を初めて体感した。雪国では珍しくなく、「春雷」があって「春の足音」を聞くという。

「春雷」に身をすぼめながら窓から空をみつめる愛猫がいた。「春と猫」も絵になる。

体調を崩しベットに横たわっているとき、猫ちゃんのゴロゴロという喉鳴らしは、熱をも下げてくれる。心が痛くて眠れない夜も猫ちゃんの鼻息は眠りへの扉を開いてくれる。猫ちゃんたちに感謝し、今日22日を過ごしたいと思う。

伊勢谷 珠子




40周年節目の選挙。坂戸市長選挙まもなく。


現職石川清市長に新人宮崎雅之氏、新人小川たつお氏が挑む。

坂戸町、三芳野村、勝呂村、入西村、大家村、1町4村が合併し1976年に坂戸市に。今年で市制施行40周年。
市長、県議一人区で、選挙になると東西対決がくりひろげられた。

現在の石川市長、木下県議 相対する。伊利市長、鹿川県議 同じ西部地区出身。宮崎市長(今回出馬の宮崎氏の父)と伊利県議。という歴史だが
宮崎市長を伊利県議が破って市長に。伊利市長に石川市議が挑戦し、石川氏が当選という激戦の末の結果だ。

今回は
石川氏、現職らしく自民公明推薦か?
小川氏は木下県議に近く、さらに維新の坂本祐之輔代議士とも懇意。
自民党の木下県議の動きも複雑だ。

山口たいめい代議士が役員をつとめる坂戸ガスの所在地坂戸。山口代議士にとって地元でもある。石川氏、宮崎氏、ともに山口代議士を支えてきた。このような状況下、石川氏は現職という強みで組織を動かし危機感は薄いようだ。一方宮崎氏は政党色ではなく、手作り、草の根の運動を展開。親山口両氏対照的な選挙戦。

さて坂戸市。関越の坂戸西スマートIC周辺、圏央道坂戸インター周辺交通のアクセス抜群で企業立地が望まれる優良な土地柄。しかしながら東松山の森田市長の辣腕ぶりが先行。企業誘致は税収アップ、雇用の創出といいことづくめ。
さらに、地味ながらも多くの歴史的遺産が息づいている坂戸市。年間650万を超える観光客が訪れる小江戸川越近隣市、2020東京五輪を視野に計画的で迅速な観光振興もテーマだ。

市民力から地域力を大きく伸ばすことこそ市制施行40周年にふさわしいまちづくりではないか。

時代はネットで瞬時に情報が伝播し、拡散する。
時代をさきどり、発信力をもつ品格あるリーダーは??
目が離せない首長選挙だ。




強い公明、共産。新座市議選でも。


14日投開票の新座市議選。トップは予想通り、市長選挙にも出馬経験のある平松氏、38才。そして2位が公明、三位共産、四位公明、五位共産、六位公明、七位公明と、地方選挙に強い公明、共産の典型的な結果だった。昨年の川越市議選のトップも共産党だ。

また注目すべきは、四年前、二名の議員を送り出したみんなの党。
二名で2500を超える票を集めた四年後は二人合算でも当選ラインにもならない825票だ。

本来、地方政治は政党色よりも、個人的な魅力も含めた「選ぶ基準」も加味されて、有権者は投票する。「あの人、公明党なんだけど、地域のために本当によくやってくれるから、応援してるの」という声(公明党を共産党に置き換えてもいい)をよくきく。

また、新座市議選、前回落選した二名が今回、返り咲き、初当選した。
一名は600台からダブルスコアの1200票突破。一名は四年前65才初出馬989票から今回、69才1407票を集めての初当選だ。

この四年間の努力の結果そのものだ。

国では、若い議員の失言、軽率な行動など眉をひそめる事象がある。
政治の世界、「若いから」という議員に対する期待も全否定はできないが
社会経験を積み、一種の専門的知識を兼ね備えた人がまちづくりに参画することは市民にとって有益と思う。新座でも30代40代の新人が落選。

そして、朝霞で当選した「NHKから国民を守る党」というNHK受信料不払い運動を軸とする奇妙な政党の候補者、新座では落選した。

四月には志木と坂戸の市議選。注視していきたい。
伊勢谷 珠子




男は黙って!


自民党の宮崎代議士が辞職した。育メンで休暇をとるのどうのと言い出したのもつかの間、こともあろうか愛妻出産直前に不倫騒動だ。お正月の国会招集日に着物を着付けてもらったことがきっかけで連絡を取り合い、グラビアアイドルと深い仲になった。

育メン宣言を結婚披露宴で行い、注目を浴びたことにも大きな疑問を感じていたが。。なんてことだ。

ベッキーの不倫騒動で騒がしかったが、あれは芸能人の話。個人的にはいつから芸能人に、品行方正、聖人君子的な行いを日本人は求めるようになったのか。。と正直思っていた。したり顔で話す情報番組の出演者。一億総倫理社会か。。もちろん不貞行為は不法行為であるが、渡辺淳一先生がご生存されていたらどうコメントされたか。

しかし、宮崎代議士については完全NGだ。なぜなら、宮崎代議士は公人であり、選良だからだ。なおかつ、言行不一致という政治家が絶対踏んではならない轍を踏んだ。

「父として、父として」なんて、まだ本当の父としての実感もわいてるはずもないのに、そういう言葉を使用する稚拙さもたまらない。

北方領土の地名を読めない担当大臣、福島に心を寄せられない環境大臣。
困るのは真面目に国、県、わがまちを思い、日夜奮闘している自民党所属議員の各氏。こんなことで、変な風が起きてはたまらない。

宮崎代議士の妙な朗々とした記者会見をみて、世界の三船が「男は黙ってサッポロビール」と口角を上げ気味に言ったかっこよさを思い出した。

浅間 潤子




中野ひでゆき県議 後援会メンバーと研修旅行


昨年春再選。二期目に早々と埼玉県議会企画財政常任委員長という要職に就任。若手県議のリーダーということに加えて、県議会の要として辣腕を発揮。

その中野県議を支える後援会主催の寒川神社、熱海梅林への研修旅行は
580名近い参加者で、もりあがった。

バスで挨拶された中野県議は「県政での動きをDVDでみなさんに見ていただく。この一日のなかで、地域の要望を聞く。多くの声をあつめさせていただき、それを県政に、川越市のまちづくりにいかしていく。これが目的。企画財政常任委員長として、上田知事から委員会開催の要請があり、予算のことなので急遽本日召集した。ずっと一緒とはいかないが、多くの声をきかせてほしい」と挨拶した。

川合市長も
出発にかけつけ「市民の願い川越線の複線化。中野清先生、ひでゆき先生のお二人にフットワークよく、国へのはたらきかけを先頭にたっていただいている。少しずつでも動くことが大事。」と親子二代にわたる尽力を明らかにした。

地元のために
なにが必要かをアンテナ高く行動する中野ひでゆき県議。頼もしい限りだ。

 

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ノーベル賞梶田先生の生誕地・元気と希望に満ちて 森田光一市長新春市政報告会


「ノーベル物理学賞受賞梶田隆章先生生誕地 東松山」今、この形容詞を市長を先頭に県議、代議士、市議会議長が頻繁に使用。ますます輝きをます東松山。「東松山元気創造計画」を旗印に山積みだった事業を軌道に乗せ「東松山」を大きく前進させた森田市長。その森田市長の新春市政報告会がこのほど開催された。

来賓の山口たいめい衆議院議員は「東松山出身の梶田先生のノーベル賞受賞は子供たちに努力すればこうなる!という夢と希望と勇気を与えた。東松山は県の三大プロジェクトのモデル地区。すばらしいことだし、市、県、国の一体感の政治の成果だ。一体感の政治あってこそいい事業を進めることはできない。それにはマチのトップの強いリーダーシップが必要。森田市長が引っ張る絶好調の東松山にこれからも期待したい。自民党本部の組織対策本部長として47都道府県の連絡調整、指揮官としての仕事もあるが、地元のために今後もがんばる。」とエール。

横山雅也県議会議員も「県政からもノーベル賞受賞梶田先生のふるさととしていいね!と言われている。森田市長の推進力で大きく発展する東松山。県からも新たな産業を生み出す産業強化ゾーンとして指定をうけた。これは企業誘致、企業立地を強化していくもの。さらに雇用人口がふえ、流入人口も増加する可能性がでてきた。森田市長の政治手腕のたまものだ。」と大きな期待を寄せた。

堀越議長、南副議長をはじめ、坂本、斉藤、福田、大山、吉田、中島、利根川、関口、高田、藤倉、鈴木、米山、根岸、大滝、大内、18名が参加。21名議員のうち共産党を除くすべての議員が出席したこととなった。

森田市長は「山口代議士、横川県議、そして市議のみなさんが出席してくれ、市長冥利につきる。二期一年半の市長職。一期中に約束した事業はすべて期内にすべて叶ったが、やらなければならないことは山のようにある。10年ごとの新しい総合構想を練り上げた。この総合戦略は5年ごとの計画で実施していく。人口が減る時代になったが観光、産業振興、子育ての三本柱で進めていく。政府が進めるプロジェクト「地方創生」。国、県、市がそれぞれ役割を果たす。役割分担ができている。盤石で、人脈がしっかりしている山口代議士、新進気鋭の横川県議と縦のラインがしっかりとできた。 東松山は地域資源の宝庫。地域資源を生かしたまちづくり。それに民間の力も借りて市の活性化を図る。この活性化は「形」を創ることから。形が変わると「人」も変わる。いい例が「マルヒロストリート」だ。「形」をつくる「しくみ」を創る。は  梶田先生の「ノーベル賞」受賞という栄誉をまちづくりに生かす。まちの魅力は「訪れたい魅力があるかどうか」。「東松山元気創造計画第2章」は「住みたい 働きたい 訪れたい 元気を希望に出会えるまち 東松山」をスローガンに大きく進んでいく。とあいさつした。

「リーダーシップ」の一つには「発信力」がある。森田市長は文章を書いても、マイクを持っても、「心に響く」表現力がさわやかだ。それは長年の知識の蓄積であり、「ひらめき」が冴えている証左でもある。今後の東松山の動きは埼玉のど真ん中にふさわしい「ムーブメント」だ。

伊勢谷 珠子




埼玉の米山の父 逝く 元国際ロータリー第2570地区ガバナー金子千侍先生


「秩父音頭」を踊れないと「旦那」とは言われない。戦前戦後から言い伝えられてきた盆踊り。

「秩父音頭」は秩父市で生まれたものではなく発祥の地は皆野町だ。 口伝されてきた唄を「秩父豊年踊り」として昭和初期復興させたのが医師でもある皆野の俳人・金子伊昔紅(かねこいせきこう)。毎年14日皆野町で「秩父音頭まつりコンテスト」が開催され、秩父谷の皆野町のメインストリートには何か所かの練習スポットが設けられそこにはのど自慢の歌い手が「花の長瀞あの岩畳誰を待つやらおぼろ月」など秩父の風景が盛り込まれた秩父音頭を披露。合いの手の「そうともそうともそうだんべ」が哀愁を漂わせる。

さて金子伊昔紅氏のご子息が今でも意気軒昂に活躍する熊谷在住の俳人「金子兜太」先生。その弟が「金子千侍」先生。

金子千侍先生は家を継ぎ、皆野町で医師として活躍。先月闘病の末ご逝去されたが、聴診器を持たなかったのはご自身が入院された時だけ。88歳。俳句の会を主宰したり、国際ロータリーでは埼玉西北地区の顔・ガバナーにも就任。以来アジアを中心とした海外からの留学生支援プログラム・米山記念奨学会の副理事長として多くの学生から「埼玉の米山の父」と慕われた。特に「俳句に親しむ」「秩父音頭を踊る」といった日本文化を留学生に指導。将来日本と自国のかけはしになるであろう留学生により日本に親しみをもってもらえるかを発信しつづけた。

「秩父音頭」は秩父のシンボル武甲山、大きな鳥が秩父連峰を舞うシーン、秩父産業の一つ「蚕」、女性が手鏡を使う仕草などがとりいれられている。金子千侍先生は秩父音頭の家元として、80歳を超えても背筋をすっと伸ばし、指先、目元まで神経のゆきとどいた「踊り」の手本をしめしてくれた。

金子先生がそちら側に逝ってしまったという実感がまだない。今年の盆の「秩父音頭まつり」。先生のいない審査員席が想像できない。

伊勢谷珠子




清原選手の後ろ姿


清原和博選手。名球会入りしたスーパースター。PL学園高校時代からスター街道を歩み、桑田真澄選手とのコンビ、または好対照として光のある道を歩んできた。スマップがどうの、ベッキーがどうのの比ではない。なぜなら高校野球のスターもプロ野球のスターも世間からの認知度が高い。

いつのころからかいい意味での「番長」といわれはじめた。しかし二年前くらいから、「薬物使用疑惑」の渦中の人となった。そして、名球会入りするも「覚せい剤取締法違反容疑」で逮捕となってしまった。

ドラフトで西武入り。そのセンスですぐにレギュラー、スタメンに清原選手はさらなる高みへ、スターダムへ駆け上がっていった。

埼玉西武ライオンズは所沢に球場がある。30年近く前に友人との待ち合わせで西武池袋駅コンコースを歩く、柱のかげから出てきた人とぶつかった。長身のトレンチコートに身を包んだボストンバックを持ったその人は「えらい、すんません」と関西弁で謝った。なんと清原和博選手ではないか。当時にチャームポイントの八重歯を見せて笑っていた。そして、トレンチコートのすそを翻し、ホームへ消えていった。

一瞬のことであったが、そのとっさの謝罪と笑顔と球場入りするやる気にみちた後ろ姿が印象的で、「清原!」「清原!」と自称清原親衛隊長になった私。今回のことは、なおさら残念無念のひとこと。岸和田出身らしい話術で芸能界でも十分に活躍でき、先月11日の名球会のイベントでもバットの振りは冴えており、次なる舞台での飛躍も期待されるはずだった。

頭、心、命を奪うといわれる覚せい剤。理性を取戻し、覚せい剤地獄からはいあがり、さっそうとした後ろ姿を見せてほしいと思うのは私だけではないはずだ。

浅間 潤子