笛木醤油が熱い

埼玉川島町の金笛醤油の笛木醤油。その歴史は200年以上で、香り高い醤油としてファンが多い。笛木醤油のせんべいも川越みやげとしても人気。醤油といえば製造に欠かせないのが木桶だ。ここで木桶を新調した。木桶を作る職人も時代の流れで少なくなり全国から集まった。

先代の笛木弘治氏。創業祭9月9日を迎えず、8月30日に黄泉へ旅立った。県立川越高校から東北大学へ。大学時代はラグビー部に所属。ラガーマンの心、「一人ひとりはみんなのために、みんなは一人のために」を経営に生かした。弘治氏は醸建築研究所の所長として、蔵造りのまちなみを代表する建築の設計をてがけていたが、兄の急逝とともに1789創業の笛木醤油の暖簾を引き継いだ。ラガーマンの発想力で女性パートを「スイートレデイー」と呼称、会社の戦力として女性を位置付けた。これは女性活躍云々の国の指針よりも早く、働く女性の地位向上の先駆けのシステムを築いたといっても過言ではない。

弘治氏は国際奉仕団体、川越ロータリークラブ会長も務めた。会長職を終えると地区(埼玉西北部)に出向したりするものだが、地区役員に「私よりも優れた人がたくさんいるのです。その方を押しのけ自分が地区役員になるのはちょっと。」と言われたことがあった。ラガーマンの心と思いやりの心を持った人だった。人を押しのけて役につきたがる人間とは異なり、静かなたたずまいの人でもあった。

弘治氏の心は笛木醤油12代当主正司氏によって引き継がれていく。笛木醤油はいつの時代も熱い。