定礎の意味

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北本市がちょっとした話題になっている。現市長の現王園市長が、定礎の碑にある前市長の名前を削るため、碑の交換をしたという。市としては市民からの意見に「前市長の名前があるのはいかがなものか」ということから市長が判断したと説明。

定礎の碑は「公」でも「私」でも歴史ではないか。たとえば川越の各地にある定礎の碑で「舟橋」であったり「川合喜一」であったり「加藤」であったり。「こういう時代を経て川越の行政の歴史があるな。」と感慨深く思ったりすることが北本市民は思うことができない。残念なことだ。

その名前を消されてしまった石津賢治前市長は4月から戸田市の副市長となる。神保市長が県の市長会のなかでの交流から「石津市長」の手腕に着目し今回の抜擢になったとのこと。神保市長は弁護士出身。スタイリッシュな町づくりで戸田市をおしゃれで、すみたいまちとして県内でもトップクラスの地位へと押し上げた。ボート場での真珠の養殖。全国から視察団が訪れるドラマの舞台のような小学校。そのユニークな手法と石津氏の企画力の相乗効果は期待されるところだ。

樹齢800年の石戸蒲桜が咲き誇る北本市。歴史ある桜は今回の事案をどんな気持ちでみているのか。桜花爛漫の春の日である。

 

伊勢谷 珠子