古刹の名僧逝く 飯能・能仁寺萩野映明氏逝去

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飯能・能仁寺。天覧山に抱かれた寺院。この天覧山は大正時代に県内初の名勝に指定された。能仁寺は古くは戊辰戦争(飯能戦争)の時の舞台にもなった。天覧山の南側の斜面からひろがる324坪の能仁寺の庭園。「池泉観賞蓬莱庭園」は、桃山時代のもので日本名園百選にも選ばれている。

この庭園を見ながら「この庭園を次の時代につなぐことが私の使命。こんな歴史あるしかも繊細な庭園を今から造ることはできない。きちんと整備し手入れをする。お寺の宝物を、歴史を、つなぐこと。簡単なようで、なみなみならぬ努力なんですよ」とにこやかに語ってくれたのが萩野映明氏。萩野氏は学習院大学を卒業後、報知新聞の記者に。スポーツ界に網の目のような人脈を築いた。縁あって飯能・能仁寺に婿入り。映明氏と長嶋茂雄氏の交流は有名な話。、長嶋氏が心を鎮める場所は能仁寺でもあり、よき理解者が映明氏であった。対談風景がテレビで放映されたこともあった。

祖父母の墓があって、映明氏の法話をきくこともあり、その話は大変わかりやすく、心にストンとおちるものだった。ロータリー活動にも熱心で、小さなクラブの卓話をお願いしたときも快諾してくれる公平な思想をもたれた方でもあった。

75歳という年齢は長寿大国日本では若すぎるという形容がふさわしい。病気療養の話は伝え聞いていたが、朗々たる読経となんとなく世俗的なにおいのする法話が聞けなくなったことは誠に残念だ。

合掌     岡部みゆき