母親の責任

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こどもが被害にあうことがあとをたたない。今回もさいたま市内で悲惨な事件が起こってしまった。

教職員を母に持つ四年生の男の子が首を絞められてなくなっていた。「塾に行った。」と証言した父親32歳という表示を見て実子か?まずは考えた。また自宅前のメーターボックスに遺体があったこと、靴をはいていないこと、不審な点が多く、事件解決は早いと思っていたが、やはりスピード解決となった。犯人は義父であった。またこどもが犠牲になってしまった。

教職員の母親は5年前に離婚。兄は実父にひきとられている。母親は報道によるとSNSで知り合った男と最近再婚。その義父は「本当のお父さんではないのに」と言われたことから首を絞めたということだ。教職員という子供たちに「生きる基本」を教科書や日々の言動行動から教え示す立場にある母親がなぜ、SNSで安易に男性と知り合い、再婚をしてしまったのか、ということに驚く。もちろん、母親だっとはいえ、教員とはいえ人権があり、生きる道に制限はないが。

再婚した相手や、付き合っている相手からこどもたちが虐待をうけ、命を落とすこともあとをたたない。

「母親の責任」は重大だ。「父親の責任」も問われるかもしれないが、「父親」のパートナーが虐待や「子殺し」までエスカレートしてしまうことは絶対数が少ない。今一度、「母親」とは?ということを社会全体で見直す時ではないか。

防犯コンサルタント 岡部逸雄